20話 貴族たちの動揺

才能ゼロで追放された三男、実は最強の無属性でした2026-06-01 16:40:09

20話 貴族たちの動揺

中間実力試験の全日程が終了した翌朝、学院の掲示板には新しいクラス編成表が貼り出された。掲示板の前は、夜明けとともに集まった学生たちで黒山の人だかりだった。
「——あった! アレク・ヴァンデルト、上級クラス編入!」
誰かが叫んだ名前を聞いて、周囲のざわめきが一瞬で大きくなる。基礎クラスから上級クラスへの飛び級——それも、入学からわずか数ヶ月での昇格は、この学院でも数年に一度あるかないかの快挙だった。同級生たちは掲示板と俺の顔を交互に見比べ、平民の学生たちは「すげえ」と素直に賞賛し、貴族の子弟たちは複雑な表情で口を閉ざしている。
(——上級クラス。つまり、ユリウス・クラインと同じクラスか)
俺は掲示板を静かに見つめながら、もう一つの名前を探していた。レオン・ハーグリーヴス——試験で俺に敗れたものの、他の試合ではすべて圧勝し、彼もまた上級クラスへの編入を決めていた。掲示板の前で俺を見つけたレオンは、遠くから親指を立てて笑った。
「ヴァンデルト! 次は絶対、本気で相手してもらうからな」
「……楽しみにしてる」
短く応えると、彼は嬉しそうに拳を握って仲間の元へ駆けていった。これで、上級クラスにはレオンという心強い味方もできたことになる。
(これで——スタートラインには立てた。三割の力だけで十分だった)
当面の目標は達成した。学院長の命令にも反さず、学院外に余計な情報が漏れるリスクも最小限に抑えつつ、自分の実力を証明し、上級クラスへの足がかりを築いた。あとはここから——制御をさらに磨き、無属性の真価を少しずつ開示していく段階だ。
だが——その夜。学院の理事会室では、俺の処遇をめぐって激しい議論が交わされていた。もちろん、俺がそれを知るのはずっと後のことだ。
学院の最上階。重厚な樫の両開き扉の奥にある理事会室は、年に数回しか使われない格式高い部屋だった。壁一面に歴代学院長の肖像画が掛けられ、中央には磨き抜かれた一枚板の長机。それを囲んで座る十名の理事たち——その大半は、学院に多額の寄付をしている名門貴族の当主か後継者だった。彼らは全員が昼間の試験を観戦しており、無属性の力を目の当たりにしていた。だからこそ——この夜、理事会は紛糾した。
暖炉の火だけが揺れる薄暗い部屋に、最初に口を開いたのはラングレー伯爵だった。灰色の髪をきっちりと後ろに撫でつけ、指には家紋入りの大振りな指輪を光らせている。先月、ヴァンデルト家の長男マクシミリアンと娘の婚約を承諾したばかりの男であり——つまり、俺の兄の義父になる予定の人物だった。
「——無属性などという、どの教科書にも載っていない力を。学院の正規学生として受け入れ、さらに上級クラスにまで編入させる。これは——教育機関としての信頼を根本から損なう行為ではないか」
彼の声は冷静だったが、その奥に隠された意図は明らかだった。ヴァンデルト家と縁戚関係にある身として、追放された三男の存在そのものが「家名の傷」として自分にも及ぶことを警戒しているのだ。
「我々貴族が、大切な子弟を預けるに足る確かな教育を保証する——それが理事会の責務です。説明のつかない未知の力を『特例』として野放しにすることは、その責務に対する重大な背信であり——」
「同感です」
隣の席の理事が大きく頷いた。ファーガソン子爵——学院の財務を担当する実務派の貴族で、数字と規則に厳しいことで知られている。
「そもそも——ヴァンデルト伯爵家は、彼を三年前に追放したと聞いています。ということは、彼には貴族としての後ろ盾が一切ない。これまで学院に在籍した平民出身者とは事情が違う。彼は貴族社会からも排除された——何の身分保証もない存在です。そんな者を特例で優遇することは、規則にも、先例にも——」
ベテラン教官の一人が、苦い顔で口を挟んだ。
「しかし——彼の実力は、今日の試験で証明された。四属性を一つの魔力で切り替える現象は、魔法学の常識を覆す——」
「だからこそ危険だと言っているのです!」ラングレー伯爵が机を叩いた。「常識を覆す力が、制御できるという保証はどこにある。もし彼の感情が昂ぶり、力が暴走したら——学院の学生全員が危険に晒される。それだけではない。この力が王都に広まれば、あらゆる権力者が彼を狙う。戦争の火種になりかねない」
その時だった。
部屋の隅の末席で、ずっと黙って話を聞いていた人影が、ゆっくりと立ち上がった。
痩せた体。丸眼鏡。擦り切れた白衣のポケットからは、いつものように紙束がはみ出している。レナード・オズワルド教授——この部屋にいる誰よりも地位は低く、誰よりも発言力のないはずの老研究者が、静かに立ち上がった。
しかし——その腕には、三十年分の研究資料が抱えられていた。
教授は理事会の机の前に進み出ると、腕に抱えた分厚いファイルを——一切の躊躇なく、机の中央に叩きつけた。ばさり、という重い音。ファイルが開き、中から無数の紙が溢れ出した。古代碑文の解読記録。魔力痕跡の地層調査図。世界各地から収集した伝承の翻訳。三十年間、誰にも相手にされず、学会では嘲笑われ、同僚からは陰口を叩かれながら——それでも一人で書き続けてきた、研究のすべてだった。
「——いい加減に、していただきたい」
教授の声は、普段の穏やかな講義のそれとはまるで違っていた。低く、重く、それでいて——三十年分の確信が込められた声だった。
「無属性がどの教科書にも載っていない? 当然です。千年の昔に、この世界から意図的に抹消された力ですからな。『制御できる保証がない』? この学生は、辺境の村で三年間、たった一人で自分の力を観察し、記録し、独自の制御法を編み出してきた。今日の試験を見れば、その制御の精緻さは一目瞭然だったはずだ」
教授は机の上の資料を一枚、手に取った。そこに記されていたのは、千年前の古代碑文の解読結果だった。
「この資料を見てください。千年前、無属性の使い手たちは『根源の魔導師』として、国を守護し、災害を鎮め、人々を救ってきた。彼らが恐れられ、排斥されたのは——力の危険性ゆえではなく、力を持つ者への無知と嫉妬ゆえです。今、この理事会で行われている議論は——千年前のそれと、何一つ変わっていない!」
「き、貴様——」
「最後まで聞いていただきたい」
教授は机の資料を指さしたまま、まっすぐに理事たちを見据えた。
「この学生は——学院の、いや。人類の財産です。彼の力は、火も水も風も土も——すべての元素の根源にあるもの。その研究が進めば、枯れた大地に水を呼び戻し、病んだ土壌を蘇らせることも夢ではない。魔法学の歴史そのものを——」
「レナード教授」
それまで終始沈黙を守っていた上座の人物が、静かに手を挙げた。部屋の空気が一瞬で引き締まる。白いローブの胸元に輝く、学院長の金の徽章。彼は立ち上がり、ゆっくりと部屋を見渡した。ラングレー伯爵、ファーガソン子爵、他の理事たち——全員が息を呑んで次の言葉を待っている。
「——もうよい。議論は尽くされた」
学院長の声は、驚くほど穏やかだった。だが、その一言が持つ重みは、部屋の誰よりも大きい。
「本学院は、創立以来、家柄ではなく実力で学生を評価してきた。これが、初代学院長が定めた不文律だ。アレク・ヴァンデルトの実力は、今日の試験で証明された。つまり——彼を正規の学生として遇することに、何の疑義もない」
ラングレー伯爵が何か言いかけたが、学院長は片手でそれを制した。
「異論は認めない。これは——学院長としての最終裁定だ。理事会はこれを承認する」
部屋は静まり返った。誰一人として反論できる者はいない。レナード教授は深々と頭を下げ、震える手で机の上の資料をかき集めた。
同じ夜——王都のはずれ、ヴァンデルト伯爵家の書斎。
ギルバート・ヴァンデルト伯爵は、暖炉の火だけを灯した薄暗い部屋で、届いたばかりの封書を手にしていた。学院に残したわずかな情報網からの定期報告——通常ならば、大して中身も読まずに脇に置くような、形式的な書類だ。
しかし今夜は違った。そこに記された名前に、指が止まった。
『特記事項——本日の中間実力試験において、基礎クラス所属アレク・ヴァンデルトが全勝。無属性の力を示し、上級クラスへの編入が決定した。なお、理事会において同学生の処遇をめぐり——』
そこから先の文字は、頭に入ってこなかった。
アレク・ヴァンデルト。三年前。鑑定の儀で「才能値ゼロ」と判定し、全貴族の面前で「当家の恥だ」と宣言し、雨の夜に屋敷から追放した——三男。あの時、少年の手には、たった三日分の銅貨だけしか持たせなかった。それきり——消息は完全に途絶え、生死すらも確認していなかった。
馬鹿な。才能値はゼロだった。この三十年、数千人を鑑定してきた学院の装置が誤るはずがない。魔法の才能がまったくない——それが、あの時の事実だった。
そう信じていた。そう思い込んで——三年前、何の未練もなく切り捨てた。
机の上に置かれたワイングラスに手を伸ばした——その指が震えていることに、ギルバート自身が気づく。グラスが傾き、落ちた。深紅のワインが絨毯に広がって染みを作る。彼はそれを、ただ呆然と見つめた。
三年前——追放の翌朝。マクシミリアンが、誰もいないアレクの部屋から見つけたという小さな鉱石の欠片。ただの石英の石ころだ。価値も何もない——そう思って、そのまま机の上に放置した。しかし。
「——あの石ころが。あれは——」
まさか。鉱石が——石が、何か。いや、そんなはずはない。そう思いながらも、ギルバートの脳裏には、三年前のあの日の光景が鮮明に蘇っていた。鑑定の儀でゼロを宣告された息子の顔。追放を言い渡した時、何かを言いかけて俯いたエドガー。そして——雨の中を、たった一人で歩き去っていった十二歳の背中。
震える手で机の引き出しを開けると、中から一通の手紙を取り出した。マクシミリアンからの、つい先日届いた私信だった。そこにはこう書かれている。
『先日、学院に無属性とかいう特例学生が現れたという噂を耳にしました。詳細は不明ですが——名前が、妙に気にかかります。可能であれば調査を——いや、何でもありません。弟と似た名前だったもので。取り越し苦労でしょう』
ギルバートは手紙を机の上に置き、深く息を吐いた。取り越し苦労——ではなかった。それは、まぎれもなく真実だった。
窓の外には、三年前と変わらぬ月が浮かんでいる。あの夜——雨に濡れながら一人で歩き去った小さな背中。振り返らなかった息子。屋敷の二階から、カーテンを閉めた使用人の影。
あれから三年。今、その同じ息子が——王国最高の魔法学院で、上級クラスに編入されている。それも——無属性などという、伝説の力を持って。
「……才能が。ゼロだったはずだ」
声に出してみたが、誰も答える者はいない。書斎の静寂だけが、ギルバートの問いを飲み込んでいった。
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