12話 再受験の朝
12話 再受験の朝
水晶球が放った閃光が収まった時、測定室は異様な静けさに包まれていた。
先ほどまで甲高く響いていた警告音は、いつの間にか完全に止んでいる。だが計器の針は壊れたように上限の位置で張りついたまま微動だにせず、かわりに小さな警告灯が点滅を繰り返していた。部屋の空気には焦げたような匂い——魔力が回路を焼き切った時に出る、独特の金属臭——が漂っている。壁際の記録係は、手に持っていたペンを床に落としたことにも気づかず、ただ口を半開きにしたまま水晶球を見つめているだけだった。羊皮紙に万年筆のインクが滲んで、だらりと黒い染みを広げている。
三人の試験官は互いに顔を見合わせ、誰一人として最初の言葉を発せられずにいた。床に落ちた鑑定士の杖だけが、かすかに——からん、からん——と転がる音を立てている。
その沈黙を破ったのは、三年前の鑑定士だった。
「……もう一度。測定を」
彼の声は震えていた。五十を過ぎたベテランの鑑定士が、学生のようなか細い声で呟いている。彼は床から杖を拾い上げると、震える手で水晶球に向けて構え直した。
「魔力——再測定を開始する」
水晶球が唸りを上げ、光を放ち始める。針が再び動き——激しく振り切れた。上限を超え、警告灯が再び点滅を始める。さっきとまったく同じだった。
「もう一度」
鑑定士は三度目を試みた。四度目。五度目。結果は——すべて同じ。計器は毎回、上限を振り切った。いや、正確には回を重ねるごとに針の振れ幅が増していて、最後には計器そのものから微かな白煙が上がり始めていた。装置は明確に、限界を訴えている。
「——これは」
鑑定士は杖を置いた。ゆっくりと、まるでガラス細工でも扱うかのように。それから俺の顔をまっすぐに見て——十二歳だった三年前の少年と、今この場に立つ十五歳の青年を、重ね合わせるように。
「これは——故障ではない。装置は正常に作動している。その上で——上限を振り切った」
鑑定士の声が、部屋の隅々まで響いた。それは告白に近かった。三年前、ここで同じ少年に「才能値ゼロ」と宣告したのは、他ならぬ自分だ。この三十年、無数の子供たちを鑑定してきたベテランが——自らの誤りを、今この場で認めようとしている。
「つまり——三年前の鑑定結果が、間違いだった。私は——」
「待ってください」
俺は鑑定士の言葉を遮った。全員の視線が、一斉に俺に集まる。
「三年前の結果は——間違いじゃなかったと思います。あの時、水晶球は確かにゼロを示した。でもそれは、この力が——『ゼロ』としてしか表示できなかったからだ。装置が、俺の力を『無』としか認識できなかったからだ。あんたのせいじゃない」
鑑定士は唇を噛みしめた。その目に、わずかな光が宿る。感謝なのか、後悔なのか——おそらく、その両方だった。
その時だった。
測定室の入り口で、誰かが深く息を吸い込む音がした。振り返ると、痩せた老人——先ほど入り口で「無属性」と叫んだ人物——が、床に散らばった紙束を気にも留めず、震える足で部屋の中に歩み入ってきた。
丸眼鏡の奥の目は、涙で濡れている。白衣のポケットからは、さらに紙の束がはみ出し、一歩進むたびに数枚ずつ床に落ちていく。だが老人はまったく気にしていなかった。その腕には、ぼろぼろになった分厚いノートが数冊。皮表紙は擦り切れ、角は丸くなり、ページの端は年季を帯びた黄ばみに染まっている。付箋と栞が無数に挟まれたそれは——一目で、何十年も使い込まれたものだとわかった。
「——三十年だ」
老人——レナード・オズワルド教授——の声は、まるで古い書物のページをめくるような、かさかさと乾いた響きを持っていた。
「三十年——この学院の隅で、誰にも相手をされず。学会に論文を出せば『机上の空論だ』と嘲笑われ。同僚からは『また無属性か』と陰口を叩かれ。それでも——わしは信じてきた。無属性は実在する。千年前に失われただけだ。必ず、再びこの世界に現れると」
彼はノートの一冊を、震える手で開いた。細かい文字でびっしりと書き込まれたページ。インクの色もばらばらで——新しいものもあれば、色褪せて読みにくくなっているものもある。十年刻みで重ねられた、研究の痕跡だった。
「これは——古代碑文の解読記録だ。千年前の遺跡から見つかった石碑に、無属性の使い手についての記述がある。『すべての元素の母なるもの。形なきゆえに形を知るもの。ゼロにして無限なる根源』——と」
教授は別のページを開いた。
「これは地層調査の記録。千年前の地層から、通常の魔力とは異なる波長の残留魔力が検出されている。既存の四大元素のどれにも分類できないエネルギー痕跡——これこそが、無属性の実在証明だ」
さらに別のページ。
「そしてこれが——世界各地の民話や伝承を集めたもの。北欧の『原初の光』。東洋の『太極』。南洋の『マナの源』——呼び名は違えど、すべて同じものを指している。四大元素が分かれる前の、一なる力。それが無属性」
教授はノートを床に置き——いや、落とし——両手で俺の手を取った。骨張った、冷たい指だった。でも、かすかに震えるその手からは、三十年分の情熱が熱のように伝わってきた。
「君は——化け物なんかじゃない」
涙で声が震えていた。
「君は、根源だ。この世界のすべての元素——火も、水も、風も、土も——それらがまだ分かれる前の、原初の力。そのすべてを内包する存在が、今、わしの目の前にいる」
(——根源。原初の力)
教授の言葉が、胸の奥のどこか深い場所に、すとんと落ちた。三年間。自分でも説明できず、誰にも説明してもらえず、ただ手探りで観察を続けてきた力。畑を肥やし、鉱石を成長させ、井戸の水を呼び戻したあの現象のすべてが——今、初めて「定義」された。
名前を持った。「無属性」という分類を与えられた。千年前から存在が予言され、三十年かけて理論化されてきた——世界の中の、れっきとした「一つの力」として。
(——俺の力は、最初からここに「あった」んだ)
追放の夜。雨の街道で握った石が光ったのも。麦畑の土が、俺の手にだけ温かさを返してくれたのも。偶然じゃなかった。異常でもなかった。根源が、根源に応えた——ただそれだけのことだったのだ。
「……無属性」
俺の口から、その三文字が初めてこぼれた。自分の力の名前を——三年間一度も言えなかったその言葉を——声に出した瞬間、喉の奥が熱くなった。
教授は何度も、子供のように頷いた。涙が止めどなく皺だらけの頬を伝い、眼鏡のレンズを曇らせている。
「わしは——わしの人生は、間違っていなかった。三十年、無駄じゃなかった。君が——君がここにいることが、何よりの証明だ」
教授がノートを胸に抱きしめたその時、部屋の後方で静かに扉が開いた。
杖をついた初老の男性が、穏やかな足取りで室内に歩み入ってくる。白いローブの胸元には、金糸で刺繍された学院長の徽章。六十代半ばだろうか。深く刻まれた皺は、長年の経験と重責を物語っている。彼が一歩進むたびに、部屋の空気がわずかに引き締まった。
試験官たちは即座に直立不動の姿勢を取り、記録係は慌てて床のペンを拾い上げた。レナード教授さえも、一歩後退して道を譲る。学院長は部屋の中央まで進むと、ゆっくりと立ち止まった。
「——事情は、外の廊下まで聞こえていたよ」
その声は驚くほど静かで、落ち着いていた。まるで先ほどまでの混乱がまるで嘘だったかのような——そんな空気を一瞬で作り出す声だった。
学院長は床に散らばった教授の研究ノートを一瞥し、振り切れたままの計器を確認し、壁の警告灯を見て——それから、ゆっくりと俺の顔に視線を向けた。
その目は、決して値踏みするようなものではなかった。むしろ——何かを慈しむような、それでいて少しだけ悲しげな色を浮かべている。学院長としての重責と、一人の老人としての人間的な感情が、その瞳の中で静かに混ざり合っていた。
「……君が、その『無属性』の持ち主かね」
「はい」
短く、まっすぐに答えた。それだけで十分だと——直感的にわかった。
学院長は長い沈黙の後、ゆっくりと——しかし間違いなく、はっきりと——頷いた。
「よろしい。この者を、本学院に入学させよ。特例とする」
試験官の一人が、慌てて一歩前に出た。
「しかし学院長! 無属性など、学院の歴史にも前例がございません。専用のカリキュラムも、担当教官も——どのクラスに所属させるかの規定すら——」
「レナード教授がいる」
学院長は穏やかに、しかし断固として遮った。
「彼はこの三十年、誰よりも長く、誰よりも深く、無属性の研究を続けてきた。適任だろう」
レナード教授は、声にならない声を上げてその場にへたり込みそうになり、慌てて壁に手をついた。眼鏡がずり落ち、涙と汗でくしゃくしゃになった顔が、それでも確かに——笑っていた。
「——ただし」
学院長が片手を挙げると、部屋の空気が再び張り詰めた。
「この件は、学院外に一切漏らしてはならない。無属性の現存は、この世界の魔法学の常識を根底から覆す。軽々に公表すれば、この若者を狙う者が出るだろう。良からぬ野心を持つ者。あるいは、無属性を危険視する者。どちらにせよ——今はまだ、時期ではない」
学院長の目が、部屋にいる全員を順番に見渡した。鑑定士。試験官たち。記録係。レナード教授。そして——俺。
「君たちの口の固さを、私は信じている。これは学院の総意として——決定事項だ」
全員が、無言で頷いた。
三年前の鑑定士だけは——複雑な表情で俺を見つめていた。その目が語っていることは、なんとなくわかった。「すまなかった」——おそらく、そう言いたいのだろう。でも彼は結局、何も言わなかった。言うべきではないと思ったのか、それとも——言わなくても伝わると感じたのか。
(——入学。俺が。この学院に)
公式に認められた。俺の力は欠落でも異常でもなく——無属性という、れっきとした「源」の力だった。三年間、この手で耕し、育て、観察し、記録してきたことのすべてが——今、この瞬間に報われた。
「さあ——研究室へ!」
レナード教授が、興奮も冷めやらぬ様子で俺の肩を抱いた。骨張った指が、小刻みに震えている。
「話したいことが山ほどある! 君の力がいつから発現したのか、どんな条件下で最も強く反応するのか、触媒の種類による差異は——ああ、筆記用具を——その前にまず紅茶を——いや、記録が先だ——」
老人の勢いに押されながら、俺はゆっくりと測定室を後にした。
廊下に出た瞬間、朝日が窓から差し込んで、磨き抜かれた石の床を黄金色に染めていた。三年前——この同じ廊下を、俺は俯いて歩いた。父の後ろ姿を追いながら。今は——俺一人で、前を向いて歩いている。
初めて——「学生」として。
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