9話 これは普通じゃない
9話 これは普通じゃない
三年が経った。
最初の冬が終わり、二度目の春が来て、三度目の収穫を終えた頃——俺は十五歳になっていた。背はガルドより少し高いくらいまで伸び、手のひらのタコは分厚く硬くなり、顔はすっかり日焼けして、井戸の水面に映る自分の顔に、屋敷にいた頃の面影を探すのが難しくなっていた。
あの日——鑑定の儀で「ゼロ」を宣告されてから、まる三年。不思議なことに、時間が経つほどにあの日の記憶は鮮明になった。父の声。マクシミリアン兄上の歪んだ口元。エドガー兄上が何も言えずに俯いた沈黙。雨の中、一人で歩いた街道。そして——麦畑の土から感じた、最初の温もり。どれもが昨日のことのように思い出せるのに、傷は不思議と痛まなくなっていた。たぶん——ガルドと土と、三年分の麦粥が、少しずつ癒してくれたのだろう。
カルドの村での暮らしは、すっかり俺の日常になっていた。春には種を蒔き、夏には朝から晩まで草を抜き、秋には収穫して漬物を仕込み、冬には納屋で石を磨きながら次の年の作付けを考える。同じことの繰り返しのようでいて、毎年少しずつ何かが変わる。畝の立て方が上手くなった。新しい野菜に挑戦しては失敗し、ガルドに「だから言ったろう」と呆れられた。ガルドが風邪で寝込んだ冬には、俺が一人で麦粥を作って枕元に運び、「味が薄い」と文句を言われてむきになった。
そして何より——俺の手の中の力に対する理解が、少しずつ、しかし確実に深まっていった。
毎日欠かさずつけていた観察記録は、もう三冊目のノートに入っていた。行商人から買った粗末な紙を糸で綴じた、手作りのノート。一冊目は発見の記録——どんな石がどんな風に変化したか、どんな作物がどれだけ早く育ったか。二冊目は比較実験の詳細——温度、時間、力の使用回数と効果の相関関係。そして三冊目——今も書き続けているもの——は、自分なりの仮説と理論がぎっしりと詰まっていた。
(一、この力は、触れた対象の「根源的な性質」を活性化させる。鉱石はより純粋な結晶へと成長し、種子は休眠を破られて発芽する。二、対象が複雑な構造を持つほど、反応にはより長い時間と強い集中を要する。石より作物、作物より——まだ試していないが、おそらく動物や人間はもっと難しい。三、感情の急激な変動——特に怒りと強い悲しみ——は力の制御を失わせ、周囲の植物を意図せず成長させてしまう。「平静」が制御の鍵。四、連続使用後は手のひらに熱感と軽い疲労が残り、三十分から一時間の休憩で回復する。五、同一対象への連続使用は効果が逓減する。これは対象の「許容量」に限界があるためか、あるいは俺の側の「出力」に上限があるためか——まだ結論は出ていない)
そうやって観察と記録を三年間続けてきた結果、俺はある確信に達していた。
この力は——ただの「異常」ではない。きちんとした法則性を持った、体系的な「能力」だ。名前も正体もまだわからない。でも——少なくとも、得体の知れない怪物ではない。手懐け、理解し、共存していける相手なのだ。それがわかっただけでも、三年間の観察には十分な価値があった。
ポケットの中には、いつも魔石が一つ入っていた。最初に道端の石英から育てたあの石は、三年の間にさらに透明度を増し、今では完全な無色透明——水晶よりも澄み切った宝石になっている。内部の光の粒子は数が増え、暗闇では手元を照らせるほどの明るさを持っていた。ガルドはそれをたまに借りて、夜中に目が覚めた時に枕元に置いたりしていた。「明かりがちょうどいい」というのが理由らしい。
そんなある秋の日——十月も半ばを過ぎ、冬の気配が谷間に忍び寄り始めた頃だった。行商人の幌馬車が、いつものように村の入り口に停まった。
年季の入った藍色の幌。御者は四十がらみの、王都と辺境の村々を巡回しているという男で、もう何度もこの村に来ている顔だった。ガルドとも顔馴染みで、いつも種や肥料や釘などの金物を売りに来る。俺たちも毎回、必要なものを買い、ついでに王都の噂話を聞くのが恒例になっていた。
「しかし旦那、ここのところ景気がいいみたいだな。買う量が年々増えてる」
「若いのが食うからな」
「はは、そりゃあ結構だ」
行商人が包みを解きながら、ふと思い出したように言った。
「——そういやあ、面白い話があってな」
俺は鍬を洗っていた手を止めた。
「魔法学院がな、特別再試験ってのをやるらしい。年齢制限なしで——一度でも鑑定の儀を受けたことのある者なら、年齢に関係なく再受験できるんだと。来年の春、一回きりの特別措置だそうだ」
息を呑んだ。
魔法学院。鑑定の儀。三年前——この手を水晶球に置いて、出た数値はゼロ。父の冷たい声。「お前はヴァンデルト家の恥だ」。兄たちの顔。屋敷を追い出されて、雨の街道を歩き、麦畑で泣き崩れて——すべてはあの場所から始まった。
そして今。また、あの場所が——俺を呼んでいる。
「なんでも、ここ数年で新種の属性がいくつか発見されてな。従来の測定方法じゃ対応しきれんから、もっと広い基準でもう一度測り直そうっていう話らしい。まあ——特別な才能のある若者を、国が改めて集めたいんだろうなあ」
(——新種の属性。従来では測れない力)
俺は無意識に、ポケットの中の魔石を握りしめていた。行商人は俺の異変に気づかず、ガルドとの会話を続けている。その声が、遠くに聞こえた。
行商人の馬車が去った後も、俺は囲炉裏の前に座ったまま、長いこと動けなかった。
行くべきか——行かざるべきか。頭の中で、二つの声がせめぎ合っていた。
(行け。三年前の結果を、もう一度——今度こそ、違う結果を出せるはずだ。この力の名前を、ちゃんと知るチャンスだ)
(やめておけ。あの場所には最悪の記憶がある。また同じように否定されたら? また「ゼロ」だと言われたら? 今度こそ立ち直れないかもしれない)
ガルドはいつも通り、何も言わずに夕食の支度をしていた。鍋に水を張り、麦を入れ、塩をひとつまみ。三年間、一度も変わらない麦粥が、今夜も湯気を立てている。
「……行ってみようかと思うんです」
ぽつりと呟いた声に、ガルドは手を止めた。ゆっくりと俺の方を向く。
「魔法学院の——特別再試験。三年前に、俺を才能ゼロって言った場所です。たぶん——今なら、違う結果が出るかもしれない。何より、この力が一体なんなのか。ちゃんとした知識で、ちゃんとした理論で——知るチャンスかもしれない」
「……行きたいのか」
「——わかりません」
正直な答えだった。行きたい気持ちと、行きたくない気持ちが、同じくらいの強さで胸の中にあった。ほとんど三年ぶりに感じる——この、決断を迫られる感覚。
「もし行って——また否定されたら、怖いです。同じ場所で、同じように。でも」
俺はポケットから魔石を取り出し、火の灯りにかざした。透明な結晶の中で、光の粒子がゆっくりと踊っている。
「でも——この三年間。ずっと、この力の正体を知りたかった。そのために毎日観察して、ノートに書き溜めて、少しずつ法則を見つけて。でも——手探りだけじゃ、限界がある。ちゃんとした知識で——名前のある形で。誰かの理論で。この力をちゃんと理解したい」
ガルドは黙って俺の言葉を聞いていた。魔石の光が、皺だらけの顔に反射して揺れている。やがて、火掻き棒を手に取って、囲炉裏の炭をつつきながら言った。
「行きたいなら行け」
「……でも、畑が——来年の春の作付けが」
「畑は俺がなんとかする。お前さん一人分の畝くらい、どうってことない」
あまりにもあっさりとした口調に、俺は思わず笑いそうになった——が、同時に、目の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
「……いいんですか。本当に」
「好きにしろと言ったのは、三年前の——お前さんが来た日だ。今さら変わらん」
ガルドは立ち上がると、壁際の小さな棚に手を伸ばした。普段はほとんど開けない、古い木箱が置いてある場所だ。その中から——小さな布袋を取り出した。
紐を解いて、中から出てきたのは——
「これ。お前さんの落とし物だ」
掌に乗せられたのは、小さくて、灰色の石。一本の白い石英の筋が、斜めに走っている。つるつるとしたただの道端の石ころ。
俺は——息を呑んだ。
(——この石)
追放されたあの夜。雨の街道で拾って、握りしめて歩いて——掌の中で、初めて光った石。あの小さな光がなければ、自分には何の力もないと信じ込んだまま、いつかどこかで死んでいたかもしれない。俺の「すべての始まり」の石だった。
「……ガルドさん。これ、どこで」
「納屋の隅に落ちてた。お前さんが来てすぐ——三年前の春にな。ずっと、取ってあった」
「……なんで」
「大事そうだったからな。お前さん、いつもポケットの中で握ってたろう」
俺は両手でその石を包み込んだ。冷たい。三年前、雨の街道で拾った時と変わらない感触。でも——今は違う。この石が何を意味するのか、俺はちゃんと知っている。
(この人が——ずっと、取っておいてくれた)
三年前の春。雪の降る夕暮れに、納屋の軒下で震えていた俺に外套をかけた最初の夜から——この老人は、ずっと見守っていてくれたのだ。俺が知らないうちに、拾い集めていてくれた。大切なものを。
「……ありがとう。ガルドさん」
声が震えた。
「本当に——ありがとう」
三年間、一度も言えなかった言葉だった。言うのが怖かったわけじゃない。この人には、言葉にする必要なんてないと思っていたからだ。何もしなくても、言わなくても——全部伝わっている。それが、ガルドと俺の三年間だった。
でも——今だけは。どうしても、声に出して言わなければと思った。
ガルドは照れくさそうに顔を背け、いつものように小さく呟いた。
「……阿呆」
その夜は、遅くまで囲炉裏の火が消えなかった。俺は旅の準備を始め、ガルドはいつもより多めに麦粥を作った。
持っていくものは驚くほど少なかった。三年間の観察記録——ぼろぼろになった三冊の手製ノート。自分で育てた魔石を七つ——あの透明なものと、銅鉱石から育てた青い光を放つものと、鉄鉱石からできた深紅の輝きを持つもの。ガルドがくれた革の手袋——三年前、手の豆が潰れて血だらけになった俺に、黙って枕元に置いてくれたものだ。追放の日からずっと持っている、小さな革袋。それから——さっき返してもらった、最初に光った道端の石。
三年前。家を追われて、たった一つの革袋だけを持って歩き始めた夜。あの時袋の中にあったのは、三日分の銅貨だけだった。今——同じ袋の中に、魔石とノートと手袋が詰まっている。三年分の重みが、確かにそこにあった。
翌朝、空が白み始める前に目が覚めた。ガルドはもう起きていて、囲炉裏の前で鍬を研いでいる。
「……じゃあ、そろそろ行きます」
ガルドは顔を上げずに、鍬を研ぐ手を動かし続けた。
「麦粥は——向こうでも食えるのか」
思わず笑いそうになった。この期に及んで、麦粥の話か。
「……たぶん。でも、ガルドさんのよりは不味いと思います」
「そりゃ結構だ。わしの粥が一番うまい。覚えとけ」
それが——俺たちの別れの挨拶だった。抱擁も、涙も、長々とした別れの言葉もない。いつもと同じ朝の、いつもと同じ会話。でも——それで十分だった。
ガルドとの三年間は、全部こうだったのだから。必要なことは全部、言葉にしなくても、きちんと伝わっている。
「——行ってきます」
戸口で一度だけ振り返った。ガルドはやっぱり鍬を研いでいた。背中を丸めて、囲炉裏の火に照らされた小さな影。
「おう」
それだけだった。でも——その一言に、三年分のすべてが詰まっている気がした。
戸を開けると、秋の朝日が差し込んだ。澄み切った空気。昨夜の霜が畑の畝を白く縁取っている。遠くの山の稜線は、朝日を受けて金色に輝いていた。ツバメはもう南へ渡り、代わりに冬鳥が二羽、畑の上を低く飛んでいく。
俺が歩き始めると、村の畑が次々と後ろに流れていった。春の菜種を育てた畝。夏の大根が太った場所。秋の白菜を漬け込んだ小屋。冬に積もった雪を鍬でどけた朝。そこらじゅうに——三年分の俺の足跡があった。
村の入り口で立ち止まり、最後にもう一度振り返った。小屋の煙突からは、細い煙が一本、朝の空気の中に立ち昇っている。ガルドが朝の火を熾したのだ。
(——いつでも、帰ってこい。お前さんの畑は逃げんからな)
ガルドはそう言わなかった。でも、きっと、言わなかっただけでそう思っている。
俺は歩き出した。行き先は——西。王都へ。三年前の雨の夜に逃げ出した街へ。家族に捨てられ、才能を否定され、誰にも認められなかった場所へ。でも今度は違う。逃げるためじゃなく——自分の意志で。自分の力の名前を、知るために。
歩きながら、ポケットの中で一番小さな石を握った。ガルドが返してくれた、最初に光った石。掌の中で、かすかに温かくなっていく。まるで——「大丈夫だ」と、背中を押してくれているように。
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