1話 最悪の鑑定式

ハズレ職「整理員」ですが、俺が組んだパーティは達成率100%です2026-06-01 16:17:58

1話 最悪の鑑定式

最後に見たのは、トラックのヘッドライトだった。
十月の朝、通学路の交差点。青信号を渡ろうとした瞬間、斜め前にいたランドセルがふらりと車道に傾いた。
考えるより先に、体が動いた。
ランドセルを両手で突き飛ばす。小さな身体が歩道に転がるのを視界の端で捉えて——その直後。
全身を衝撃が貫いた。
音はない。世界がぐるりと回転し、アスファルトの冷たさが背中に滲みる。空がやけに青くて、雲がゆっくりと流れているのが妙に鮮明に見えた。
——あ、死んだな。
驚くほど冷静にそう思った。走馬灯すら流れない。
遠くで誰かの悲鳴。サイレン。駆け寄る足音。それらが水の中から聞こえるみたいにぼやけていく。
最後に感じたのは、制服のポケットの中の万年筆の硬い感触だった。昨日、祖母がくれたばかりのもの。大学受験がんばれよって、皺だらけの手で握らせてくれた。ステンレスのボディに刻まれた小さな梅の花。キャップを外すときのカチッという音が好きだと言ったら、ばあちゃんは目を細めて笑った。
——ごめん、ばあちゃん。
視界が暗くなる。
永遠に思える暗闇のあと。
気がつくと、石造りの天井が目に入った。
蝋燭の灯りが壁に揺れている。空気が冷たく湿っていて、かび臭さと消毒液のような匂いが混ざっていた。
(……病院?)
違う。病院の天井じゃない。石の目地、梁に吊るされた古びた燭台。どこか教会のような静けさ。
「目が覚めましたか」
低い男性の声。視線を動かすと、簡素な灰色のローブを着た中年の男が脇に立っていた。手に分厚い台帳を抱えている。
「ここは……?」
声が掠れていた。喉がやけに乾いている。
「グレンフォル辺境伯領、冒険者ギルドの救護室です。あなたは転生者ですね」
「……転生者?」
「異世界からの転生者です。元の世界で死亡し、この世界に新たな生を得られました」
起き上がって、自分の手を見た。
細い。十七年間見慣れてきた自分の手じゃない。でも——指を曲げると、間違いなく俺の意思で動いた。
頭の奥に、トラックのヘッドライトがフラッシュバックする。
ランドセル。突き飛ばした感触。衝撃。
俺は——死んだのか。
「……異世界、か」
妙に実感が湧かないまま呟いた。
男——ギルドの手続き担当者——は淡々と説明を続けた。剣と魔法のファンタジー世界であること。冒険者ギルドが転生者の受け入れ窓口であること。そして本日、転生者の鑑定式が行われること。
「他の転生者も集まっています。準備ができ次第、ご案内します」
立ち上がると膝が少しだけ震えた。新しい身体にまだ馴染んでいない。
ポケットに手を入れる。
——あった。
祖母の万年筆。どうしてこれだけが持ってこられたのかはわからない。でも指に伝わる冷たい感触が、やけに現実味を帯びていた。
ギルドホールに通されると、思った以上に広かった。
高い天井から鉄製の燭台がいくつも吊り下げられ、壁一面に依頼書が張り出された巨大な掲示板。受付カウンターの奥には酒場スペースがあり、昼間だというのに十数人の冒険者たちが思い思いにジョッキを傾けている。革の鎧、金属の胸当て、擦り切れたローブ。剣や杖を背負った男女の誰もが、少しだけ殺気立っていた。
中央には一際目立つ巨大な魔導石が台座の上に鎮座している。大人の頭ほどの水晶。内部で青白い光が脈打つように明滅していた。
その周りに、五人の人間が集められていた。みな、場所に不慣れな表情をしている。きっと俺と同じ転生者だ。
「それでは、鑑定式を始めます」
壇上の司会役が声を張り上げると、ホールの雑音がすっと引いた。ジョッキを置く音が、やけに大きく響く。酒場の冒険者たちが興味津々の目でこちらを見始めた。
一人ずつ、名を呼ばれて魔導石の前に立つ。手をかざすと石の光が激しく明滅し、空中に半透明の文字を浮かび上がらせる。
『大剣士』
歓声が上がった。近くの冒険者が「おっ、当たりだな」と口笛を吹く。鑑定を受けた二十歳ほどの大柄な青年は、ほっと胸を撫で下ろしている。
『魔術師』
さらなる歓声。「二連続で当たりかよ」「今年の転生者は豊作だな」
次に呼ばれたのは、柔らかな茶色の髪をした小柄な少年だった。丸い眼鏡の奥の瞳が緊張で揺れている。年齢は十五か十六か。
魔導石に手を置く。
『治癒師』
ホールがどよめいた。「治癒師だってよ!」「一人いるだけでパーティの生存率が段違いだぞ」
少年——後で朝比奈優真と名乗った——は困惑した面持ちで、小さく頭を下げていた。
そして俺の番が来た。
「次、桐生朔」
視線が集まる。新しい身体のまま、ぎこちなく魔導石の前に立った。司会者の声だけが、静まり返ったホールに響く。
冷たい。表面に手のひらを押し当てると、ひんやりとした感触が指先まで沁みた。
石の中の光がゆっくり明滅し始める。周囲の空気が張り詰めた。
——ピシッ。
微かな音。水晶の表面に細かいヒビのような線が走った——気がした。
そして石が、文字を映し出す。
『整理員』
ホールが、しんと静まり返った。
さっきまでの喧騒が嘘のようだ。誰もが息を呑み、動きを止めている。聞いたことのない職業——冒険者としての適性どころか、存在そのものを疑うような文字が空中に浮かんでいた。
司会者の男が、戸惑いを隠せない声で読み上げた。
「……せ、整理員、です」
一拍の沈黙のあと——
「——整理員ッ!」
誰かが吹き出した。それが引き金だった。
「なんだそれ! 書類の整理でもする職業かよ!」
「初めて聞いたぞ、そんな職!」
「ハズレにもほどがあるだろ!」
「ゴミ拾い以下じゃねえかそれ!」
爆笑がホールを揺らした。酒場の冒険者たちが腹を抱え、カウンターの男たちが指を差す。さっきまで「今年の転生者は豊作だ」と囃していた連中が、今度は俺を肴に酒を楽しんでいる。
俺は立ち尽くしていた。
魔導石の前に、ただ一人。何も言えずに。
(ああ、これだ……)
胸の奥で何かがふつふつと込み上げてくる。それは怒りでも悲しみでもなかった。————思い出だった。中学の文化祭、クラス企画で「お前の案じゃ誰も来ない」と皆に笑われたあの日。教室のざわめき、視線、後ろの席から聞こえた小さな笑い声。今もあの時も、何も変わっていない。
ギルドの喧騒が遠くなる。笑い声がひとつの塊になって、耳を塞ぐ。
「おい、次行こうぜ次」
司会者が空気を変えようと、早口で次の名前を呼んだ。冒険者たちの視線が、あっさりと俺から離れていく。
俺は一歩、また一歩と後退った。誰も気づかない。
壁際まで下がって、ポケットから万年筆を取り出した。キャップを親指で押し上げる。
——カチッ。
小さな音。あの笑い声とは違う、はっきりとした確かな音。深呼吸を一度。これで大丈夫だ。
「掃除でもしておけ。使える雑用はそれくらいだろ」
深く通る声。顔を上げると、銀縁の眼鏡をかけた痩せた男が立っていた。いつ近づいてきたのかわからない。腰に鍵束をぶら下げ、服の生地が他の職員より上等だ。
「ギルドは暇じゃない。役に立てないなら、せめて邪魔になるな」
言うだけ言うと、男は背を向けて歩き去った。靴音が冷たい石の廊下に響く。
「西園寺副マスター……今日は特に機嫌悪いな」
近くの職員たちが顔を寄せてささやく。なるほど、副マスターか。
「掃除係かよ。ギルドも物好きだな」
今度は、カウンターにもたれかかった長身の男の声だった。黒い髪を無造作に後ろで束ねた細身の剣士。腰に二本の剣を差し、鋭い目つきで俺を眺めている。値踏みする視線が棘みたいに肌に刺さる。
「パーティを組むこともねえ。一人で全部やる。掃除しかやることがないお前よりマシだ」
言い捨てると、彼も踵を返した。
カウンターの奥で、赤茶色の髪をポニーテールにした女性職員が、一連のやりとりを無言で見つめていた。他の職員たちが笑い話に興じる中、彼女だけは違った。眉をひそめ、俺の背中をじっと追っている。
——だがそれも、ほんの数秒。
「凛、こっちの依頼書の処理、手伝ってくれる?」
「はい、今行きます」
凛と呼ばれた女性は呼ばれると、ぱっと目を切り替えて業務に戻った。
俺はギルドの奥まった場所まで歩いた。壁沿いに続く細い通路の先——そこに、それはあった。
山だ。
依頼書の山だった。
完了報告、未処理の依頼、分類待ちの書類。「緊急」と書き殴られたまま放置された羊皮紙。すべてが無造作に棚や床に積み上げられ、カビと埃の匂いが鼻をつく。
(なんだ、この有様……)
さっきの笑い声よりも、こっちの方が衝撃だった。これが、冒険者の命を預かるギルドの管理なのか。期限切れと新規の依頼書が同じ束に混ざっている。緊急の救難依頼が、薬草採取の依頼の下敷きになっている。
整理されていない——なぜか、それが許せなかった。
「……やるか」
口をついて出た言葉が、思いのほかしっかりしていた。
一番上の書類を手に取る。依頼の難易度、期限、必要な人員構成。それらの情報が、頭の中で勝手に整列していく。さっき受付で見かけた冒険者たちの顔と装備が次々と浮かんでは消え——どの職種がどの難易度に合うか、誰と誰を組ませれば生き残れるか。そんな情報が自明のものとして頭に入ってくる。
俺はその感覚を、ただの仕分け作業だと思った。
万年筆を机の正面に置く。祖母がくれたその万年筆を、作業を見守るように。
一枚、また一枚。手を動かした。
ホールの喧騒が遠くで響いている。笑い声、ジョッキの打ち合う音、誰かの怒鳴り声。それらすべてを背に、俺は黙々と依頼書を仕分け続けた。
誰も、この作業に意味があるとは思わなかった。
俺自身でさえも。
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