14話 忍び寄る影
14話 忍び寄る影
火竜戦から三日が過ぎた。
俺はまだ救護室のベッドにいた。優真が「あと二日は安静に」と診断書に書き、凛が「これは治癒師命令だから」と釘を刺したのだ。慧に至っては「抜け出したら承知しない」と二本の剣を扉の前に立てかけていった。
(……そこまでしなくても)
そう思ったが、さすがに三人がかりで言われると、おとなしく寝ているしかなかった。
窓から差し込む秋の日差しは穏やかで、遠くからギルドホールの喧騒が聞こえてくる。バッシュの怒鳴り声、誰かの笑い声、依頼書をめくる紙の音——そのすべてが、今は心地よかった。
「調子はどう?」
凛がトレイを手に部屋に入ってきた。優真が調合した栄養食——見た目は粥に近いが、薬草と滋養のあるキノコがたっぷり入っている。味は……正直、あまり言いたくない。
「元気になったら、ちゃんとしたものを作ります」
「あら、料理できるの?」
「前世で一人暮らしだったので、それなりには」
「それは楽しみ」
凛はベッドの横の椅子に座ると、トレイを机に置いて、少しだけ表情を引き締めた。
「ねえ——話しておきたいことがあるの」
「……なんですか」
「西園寺さんのこと」
彼女は声を潜めた。
「彼、予定通り昨日このギルドを去ったわ。でも——去る前に、王都本部に送った手紙の控えが、彼の執務室から見つかって」
「手紙の控え?」
「うん。三通。いずれもあなたに関する密告——鑑定結果の改竄疑惑、編成権限の乱用、ギルド規定違反。それに——」
凛は一瞬だけ言いよどんだ。
「——『危険な異端者につき、王都本部による接収または排除を求む』」
俺は黙って、窓の外を見た。
接収または排除——つまり、俺を王都本部の管理下に置くか、それが無理ならギルドから追い出すか。西園寺はそこまで考えていたのか。
「……その手紙、受理されたんですか」
「残念ながら——一通だけ、王都本部で正式に受理された形跡があるの。あとの二通は御子柴マスターが見つけて止めたんだけど——一通は届いてしまった」
凛は手に持った紙を机の上に置いた。西園寺の几帳面な字が、羊皮紙の上に整然と並んでいる。その末尾には、王都本部の受理印が押されていた。
「だから——まだ、終わってない。西園寺さんはいなくなったけど、彼がまいた種は、王都で育ち始めてる」
彼女は俺の目をまっすぐに見た。
「心の準備だけは、しておいて」
「……はい」
しばらく沈黙が続いたあと、凛がふと思い出したように言った。
「そういえば——あなたが倒れてるとき、慧さんが変なことを言ってた」
「変なこと?」
「『朔の編成には、もっと深い何かがある——俺にはわかる』って。火竜戦のとき、彼が最後の一撃を入れる直前——まるで、誰かに背中を押されたような感覚があったらしいの」
「……背中を押された?」
「うん。正確には——『編成図の通りに動いていただけなのに、体が勝手に最善の位置に導かれた』って」
俺はベッドの上で、窓から差し込む光を見つめながら考えた。
慧の感覚——覚えがあった。
以前、バッシュが「お前が編成したパーティだと、なんか——調子がいいんだよな」と言っていた。ゼドが「朔さんの編成に入ると、普段より動ける気がする」と呟いたこともある。
それらはすべて、気のせいだと片付けていた。編成が良ければ、連携が良くなる。連携が良くなれば、成果も上がる。
ただ——そう単純な話なのか。
「……凛さん」
「ん?」
「俺の『整理』スキルって——鑑定では何て出てましたか」
凛は少し考えてから、記憶をたどるように言った。
「『書類の整理に特化した能力』——だったはず。あの日、あなたの鑑定結果を見た司会者が『これだけ?』って戸惑ってたくらい」
「そうですよね。書類の整理、だけ」
「でも実際は——」
「はい。書類だけじゃない。情報も、人も——整理できる。そして、もしかしたら——」
俺は言葉を飲み込んだ。
——もしかしたら、整理された人たちの「結果」そのものにも、何か影響を与えているのかもしれない。
(まさか)
そう思いたい。でも——否定できない。三十一件。死者ゼロ。二百人の火竜戦で、死者ゼロ。これは確率の話だけでは説明できない数字だった。
俺の編成には——誰かの運命を、少しだけ変える力がある。
だとしたら。
その力は、誰のためのものなのか。
「桐生くん?」
凛が心配そうに覗き込んできた。
「……なんでもないです。ちょっと、考え事を」
「そう? 顔色、あんまり良くないけど」
「大丈夫です。それより——」
俺はベッドの上で身体を起こした。
「そろそろ、書類室に戻ってもいいですか」
「ダメ」
即答だった。
翌日、ようやく安静が解けて、俺は書類室に戻った。
五日ぶりの自分の部屋に——異変があった。
「……これ、誰が」
机の上に、見慣れない羊皮紙が一枚置かれている。封蝋は王都本部のものだ。
開くと、簡潔な文面が目に飛び込んできた。
『編成師・桐生朔殿。王都本部編成局より通達——火竜級魔獣討伐における功績に基づき、王都本部直属の特任編成官への就任を打診する。ついては、来月十五日までに王都本部にて面談を実施されたし。なお、本件はギルドマスター御子柴龍之介の推挙によるものではないことを付記する』
俺は文面を三度読み返した。
王都本部直属。特任編成官。面談。
(御子柴マスターの推挙じゃない——?)
それなら——誰が俺を推したのか。
嫌な予感が、背筋を這い上がってきた。
そのとき、書類室の扉が開いた。
「朔。話がある」
慧だった。顔つきが、いつもより硬い。
「……どうしました」
「さっき、王都から妙な動きがあったと聞いた。あの火竜戦の後——お前の編成記録を、王都の連中がこっそり複製して持ち出したらしい」
「……複製を?」
「ああ。公式の監査が終わった後の、非公式な動きだ。狙いは——お前の編成ノウハウの解析と、場合によっては——」
慧は一歩、俺に近づいた。
「——『整理』スキルそのものの奪取だ」
奪取。
「……この世界で、スキルを奪う方法があるんですか」
「聞いたことがある。禁術だが——高位の魔導師なら、可能性はある」
慧の目が、かつてなく鋭く俺を捉えていた。
「気をつけろ、朔。お前の力は——お前が思ってるより、ずっと危ういものかもしれない」
彼はそれだけ言うと、静かに部屋を出ていった。
俺は机の上の万年筆を手に取った。
祖母の万年筆。この世界でただ一つ——俺と前の世界を繋ぐもの。
整理スキル。それがただの能力じゃないのだとしたら——。
窓の外では、秋の雲がゆっくりと流れていた。その影が、書類室の床に長く伸びている。
何かが——動き出している。
西園寺の密告。王都本部からの打診。非公式な記録の複製。
これらは、別々の出来事じゃない。すべて——一本の線で繋がっている。
その日の夕方、俺は凛を呼んで、机の上の二通の文書を並べた。王都からの打診状。それから——西園寺の密告の控え。
「……これ、さっき慧さんから聞いた話と繋がってますよね」
凛はしばらく文書を読み比べていたが、やがて深く息を吐いた。
「たぶん、ね。あなたを表向きは『特任編成官』として王都に囲い込んで——実質的には、あなたのスキルを解析して、自分たちのものにしようとしてる」
「御子柴マスターは?」
「まだ知らないはず。この打診、マスターの推挙じゃないって、わざわざ書いてあるくらいだし。王都の中に——西園寺さんとは別の、もっと大きな力が動いてる」
彼女は窓辺に立って、外を見渡した。遠くに見える王都の尖塔が、夕日に照らされて鈍く光っている。
「ねえ、桐生くん。あなたの整理スキル——もしそれが、編成した人たちの運命を本当に変えられるんだとしたら——」
「……俺は」
俺は万年筆を握りしめた。手のひらに、冷たい感触がじんわりと広がる。
「そんな力が本当にあるのか、まだわからない。でも——もしあったとしても」
「としても?」
「俺は、それを誰かのために使いたい。王都のためでも、権力のためでもなく——困っている誰かのために」
凛は振り返って、静かに微笑んだ。
「うん。それを聞いて、安心した」
彼女は机の前に戻って、二通の文書を丁寧に折りたたんだ。
「じゃあ、私も腹を括る。私は——あなたのそばで、全部見届けるから」
その瞳が、夕暮れの光を受けて、静かに輝いていた。
そしてその線の先には——まだ見えない、大きな何かが待っていた。
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