10話 それぞれの想い
10話 それぞれの想い
週末の夜、ギルドの酒場はいつもより静かだった。
明日が休業日だというのに、冒険者たちの姿はまばらだ。給料日前で懐が寂しいのか、それとも単に今日くらいは静かに過ごしたい気分なのか——理由はわからないが、とにかく、今夜の酒場には落ち着いた空気が流れていた。
「たまには、こういうのもいいわね」
凛がジョッキを手に言った。中身はエールではなく蜂蜜酒——彼女いわく「私、ビールは苦くてだめなの」。
「凛さんがお酒、珍しいですね」
優真は炭酸水、俺も同じだ。慧は手酌でウイスキーをちびちび飲んでいる。
四人で囲むテーブル。注文は慧の奢りだった。
「今日は俺が払うと言っただろう」
慧は短く言った。理由は聞かなかったが、たぶん——岩石竜の借りをまだ気にしているのだろう。
「それで——朔は転生者だったよな」
「はい。交通事故で」
「……交通事故?」
「トラックに轢かれました。子供を庇って」
俺が言うと、凛がうつむいた。優真は眼鏡の奥で目を丸くしている。
「朔さん、それって……」
「べつに、たいしたことじゃないです。気づいたら動いてただけで」
「たいしたことあるわよ」
凛が顔を上げて、強い口調で言った。
「自分の命を賭けて、知らない子供を助けたんでしょ。それって——誰にでもできることじゃない」
「……そう、ですかね」
「そうよ」
彼女は蜂蜜酒を一口飲んで、テーブルに置いた。
「私——実は、この世界で生まれ育ったの」
「え?」
優真が驚いた声を上げた。
「冒険者ギルドの受付って、だいたい地元出身なのよ。転生者ばかり相手にしてると、『普通』の感覚がわからなくなるから——だからギルド側が、あえて現地採用してる」
「そうだったんですか。てっきり——凛さんも転生者かと」
「よく言われる。でも違うの。私は十六のとき、家が貧しくてギルドに就職した。最初は掃除係。そこから六年かけて、受付のトップになった」
彼女はジョッキの縁を指でなぞりながら、遠くを見るような目をした。
「だから——桐生くんが最初に掃除係になったとき、ちょっとだけ、自分と重ねたのかもしれない」
凛が俺と重なった——その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなった。
「……凛さん、そんなこと考えてたんですか」
「ちょっとだけね」
彼女は照れくさそうに笑った。
「で——慧さんは?」
優真が恐る恐る尋ねた。慧はウイスキーグラスをくるくる回しながら、しばらく黙っていたが——やがて、ぽつりと言った。
「……俺は、ただの成り上がりだ」
「成り上がり?」
「この街のスラムで生まれた。親はいない。物心ついたときには、路地裏で盗みをして食ってた」
慧の声に、いつもの鋭さはなかった。
「十のとき、たまたま拾った錆びた剣で犬を追い払ったら——それを見てた前のギルドマスターが、ギルドに引き取ってくれた」
「……そうだったんですか」
「ああ。剣だけが、俺のすべてだった。仲間も、家族もいらない——そう思ってた。でも——」
彼はちらりと俺を見た。
「お前の編成で、初めて知った。誰かと肩を並べて戦うのも——悪くないってな」
凛がくすっと笑った。
「慧さん、ちょっとだけ——人間らしくなった」
「……うるさい」
慧は顔を背けて、ウイスキーをあおった。でも、耳の先が少しだけ赤くなっていた。
「朝比奈くんは?」
俺が振ると、優真はもじもじと手を合わせた。
「僕は——前世では、ずっと入院してたんです」
「……入院?」
「はい。心臓が弱くて。病院のベッドの上で、本を読むだけの毎日でした。それで——十六のときに、息を引き取って」
彼は炭酸水のグラスを見つめながら、静かに続けた。
「だから、この世界に来て——自分の足で歩けて、走れて、誰かの役に立てることが、本当に嬉しいんです。治癒師の適性をもらえたのも——前世でずっと助けられてばかりだったから、今度は僕が助ける番だって、神様がくれたチャンスなのかなって」
テーブルが、しんと静まった。
凛がそっと、優真の頭を撫でた。
「えらいわ。十六でそれは、なかなか言えることじゃない」
「あ、ありがとうございます……」
優真は眼鏡を押し上げながら、照れくさそうにうつむいた。
「で、桐生くんは?」
「え?」
「将来のことよ。編成師として、これからどうしたいの?」
凛の質問に、俺は言葉を探した。将来のこと——あまり深く考えたことがなかった。
「……俺は」
万年筆をポケットから取り出して、机の上に置く。
「この世界に来て——ずっと、居場所がなかったんです。整理員なんてハズレ職だって笑われて、掃除係に回されて」
「でも、今は違うでしょ」
「はい。今は——凛さんが信じてくれて、慧さんが力を貸してくれて、優真が支えてくれて。初めて、ここにいていいんだと思えるようになった」
俺は三人の顔を順に見て、少しだけ声を詰まらせた。
「だから——これからも、ここで。俺にできることを、続けたいです。それだけです」
「それだけ、ね」
凛が微笑んだ。
「十分よ。それで」
「……ありがとうございます」
そのとき——ギルドの扉が勢いよく開かれた。
「凛さん! 至急です!」
飛び込んできたのは、夜間受付の若い職員だった。手に持った羊皮紙が、かすかに震えている。
「王都本部から——緊急の伝令です!」
凛が立ち上がり、羊皮紙を受け取った。封を切り、内容を読む——彼女の表情が、見る見るうちに引き締まっていく。
「……なに、これ」
慧が横から覗き込んだ。
「複数ギルド合同の魔物討伐戦——? それも、こんな規模は——」
「王都近郊の大森林で、災害級の魔獣が確認されたそうです。少なくとも三つのギルドが動員される規模で——」
凛は羊皮紙を机の上に広げた。そこには、細かい文字で作戦の骨子が記されている。
「そして——この依頼の編成責任者に、指名があります」
彼女の指が、末尾の一文を示した。
『編成統括責任者として、辺境ギルド所属・編成師 桐生朔を推薦する——王都ギルド本部付・御子柴龍之介』
「……マスターが?」
「うん。マスターが、王都本部にあなたの名前を出したのよ。このタイミングで」
俺は羊皮紙の文字を、何度も読み返した。
災害級の魔獣。複数ギルドの合同作戦。編成する人数は——百人を超えるかもしれない。
「……俺に、できるでしょうか」
「できる」
慧が断言した。
「できなきゃ、マスターが名前を出すはずがない。あの人は数字を見る。つまり——お前ならできると、数字が証明してる」
「慧さんの言う通りよ」
凛も頷いた。
「今まで三十一件、すべて成功。死者ゼロ。あなたの数字は、もう王都にまで届いてる。これは——チャンスだと思う」
「チャンス、ですか」
「自分の力を、もっと大きな舞台で証明するチャンス。西園寺さんが何を企んでようと——王都本部があなたを認めれば、もう誰も手出しできなくなる」
彼女の目は真剣だった。でもその奥には——期待と、少しだけの心配が混ざっている。
「僕も、手伝います」
優真が小さく手を上げた。
「編成はできませんけど——治癒師として、朔さんの編成に入ります。役に立てるように頑張りますから」
「優真……」
「俺もだ」
慧がウイスキーグラスを置いて、立ち上がった。
「この依頼、受けさせてもらう。編成——任せたぞ、朔」
凛がにっこり笑って、蜂蜜酒のジョッキを掲げた。
「決まりね。じゃあ——ギルド編成師・桐生朔、初の大型依頼に、乾杯」
四人のグラスが、かちんと音を立てた。
炭酸水と蜂蜜酒とウイスキーと炭酸水——なんともちぐはぐな組み合わせだったが、それでよかった。俺たちは、ちぐはぐなまま、ここまでやってきたのだから。
夜も更けて、それぞれが帰路についたあと。
俺は書類室に戻って、王都からの依頼書をもう一度読み返していた。
大森林。災害級魔獣。複数ギルドに跨る複雑な人員構成。それらを——俺一人で編成する。
(やれるだろうか)
不安はある。でも——それ以上に。
(やってみたい)
そんな気持ちが、胸の底で小さく燃えていた。
初めてだった。誰かに任された仕事を——こんなに強く、自分のものとして受け止めたのは。
窓の外には、二つの月が浮かんでいた。秋の夜風が、机の上の羊皮紙をそっと揺らす。
その風に乗って、どこからか——かすかな獣の咆哮が、遠くから聞こえた気がした。
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