9話 副マスターの焦燥
9話 副マスターの焦燥
西園寺の動きは、思ったより早かった。
慧が緊急Aランク依頼を俺の編成で成功させた——その報告が上がった翌日。朝のギルドが開く前に、西園寺は俺を副マスター執務室に呼び出した。
部屋は書類室の三倍はある広さで、壁一面にギルドの組織図と財務諸表が張り出されている。西園寺は大きな机の向こう側で、銀縁の眼鏡を静かに押し上げた。
「桐生くん。残念な知らせがある」
「……残念な知らせ、ですか」
「うむ。昨晩、緊急の役員会議があった。結論から言うと——君の編成師としての業務を、当面の間停止する」
机の上に置かれた一枚の通告書。そこには役員三名の署名と、「編成業務の一時停止について」という表題が記されていた。
「理由を、聞いてもいいですか」
「もちろんだ。君が昨日、私の承認を受けずにAランク依頼の編成を行った件——あれは、明確な規定違反だ」
「規定はまだ正式に施行されていませんでした」
「しかし周知はされていた。それを無視して編成を実行したのは、組織人としての規律に反する」
西園寺の声は静かで、まるで教科書を朗読するように淡々としていた。
「君の才能は認めている。だが、組織はルールで動く。ルールを無視する才能は——組織にとって害悪になりうる」
「……害悪」
「そうだ。だから私は、君を守るためにこの決断を下した。一時的に編成業務から外れ——本来の業務に戻ってもらう」
本来の業務。
「書類の整理、倉庫の棚卸し、備品管理。君が最初に任された業務だ。あれはあれで、誰かがやらねばならない重要な仕事だ」
つまり——俺を元の雑用係に戻す、ということか。
「……編成師としての仕事は」
「当面は、私と上級職員が引き継ぐ。心配はいらない。編成業務は滞りなく継続される」
西園寺は通告書を俺の前に滑らせた。
「不服があれば、正式な異議申し立ての手続きを。ただし——その場合、役員会での再審議になる。それなりの時間がかかることは、覚悟してもらいたい」
なるほど。不服を申し立てても、審議に時間がかかる——その間に、編成業務は西園寺の管理下に置かれる。つまり、どっちに転んでも、俺は編成から外される。
(うまくできてるな)
心の中でそう思ったが、口には出さなかった。
「……わかりました」
俺は通告書を受け取って、執務室を出た。
廊下で、凛が待っていた。
「どうだった?」
「……編成業務、一時停止です」
通告書を渡すと、凛は一読して顔を真っ赤にした。
「なにこれ! 規定違反だって——まだ施行すらされてない規定の違反なんて、ありえないでしょ!」
「でも、役員会の決定ですから」
「役員会って——西園寺さんの息のかかった役員ばかりじゃない。実質、彼の独断じゃないの」
凛は通告書を握りしめて、今にも破りそうな勢いだった。俺は彼女を手で制した。
「……とりあえず、従います。今は」
「今はって——」
「編成をしないだけで、書類の整理はできます。凛さんが言ってた——もっと数字を積み上げろって。それなら、書類を整理しながらでもできるはずです」
凛はしばらく俺の顔を見つめてから、大きく息を吐いた。
「……わかった。でも、これは一時的なものだからね。絶対に、元に戻す」
彼女は踵を返すと、ずんずんと廊下を歩いていった。その背中が、やけに頼もしく見えた。
それから三日間、俺は本当に元の雑用係に戻った。
倉庫の棚卸し。備品の補充。壊れた椅子の修理。誰がやっても同じ仕事——でも、誰もやりたがらない仕事。
その間も、ギルドの編成業務は西園寺の管轄で続けられていた。彼は自分で冒険者を選び、依頼を割り振った。表向きは「滞りなく」——副マスターの言葉通りに。
そして三日目の夕方。
それは起きた。
「——救難信号! 至急応援を!」
ギルドの通信室から、悲鳴のような通報が飛び込んできた。西園寺が編成したパーティ——Cランクの魔獣討伐に出ていた五人のうち、四人が消息不明になったという。
ホールが一瞬で凍りついた。
「場所は! 人数は!」
「西の森林区。五人のうち——一人だけ、這うようにして戻ってきた。残りはまだ——」
凛が飛び出し、治癒師たちが走り、バッシュと慧が即座に救出隊を編成した。ギルドの全機能が、緊急モードに切り替わる。
俺は書類室の入り口で、その光景を見つめていた。
(西園寺さんの編成が——失敗した)
助け出された四人のうち、二人は重傷。一人は意識不明。そして一人は——
「……すまない」
担架で運ばれていく遺体を、西園寺は呆然と見つめていた。眼鏡の奥の目が見開かれ、普段の冷静さは微塵もなかった。
「まさか——こんなはずでは。適切な編成をしたはずだ——」
彼の声は、誰に聞かせるでもなく響いていた。
その夜。
ギルドマスター執務室の扉が、重々しく開かれた。
「——西園寺。説明を」
御子柴龍之介の声は低く、しかしホール中に響き渡るほど明確だった。
「これが、君の言う『滞りない編成業務』の結果か」
「マスター——これは、偶発的な——」
「偶発的?」
御子柴は机の上に積まれた報告書——凛が三週間かけて集めた数字の束——を指差した。
「この数字を見ろ。桐生朔が編成に関わった依頼——累計三十一件。成功率百パーセント。死者ゼロ」
彼は別の束をつかんで、西園寺の前に突きつけた。
「君が今週編成した依頼——たった九件。そのうち一件は死者を出した。達成率は七割。これが——副マスターとしての君の編成能力か」
西園寺の顔から、血の気が引いていくのが見えた。
「私は——適切に——」
「適切ならば、死者は出ていないはずだ」
御子柴は書類を机の上に戻すと、椅子に深く腰掛けた。左頬のドラゴンの爪痕が、蝋燭の灯りに照らされて浮かび上がる。
「私はな、西園寺——数字を見る。それだけだ。誰が正しいか、誰が間違っているか——数字がすべてを語る」
彼は手元の書類に目を落とした。
「桐生朔を、編成師に戻せ。そして——来週から、私は全編成データの精査に入る。過去三ヶ月分、すべてだ」
「三ヶ月分……! そんなことをすれば、業務が——」
「滞るか? 君の編成業務よりか?」
西園寺は口を閉ざした。
「これは決定だ。異議は認めない」
御子柴の目が、初めて西園寺を正面から捉えた。
「以上だ。下がれ」
副マスターは一礼して、執務室を出た。廊下で俺とすれ違うとき、彼は一瞬だけ足を止めた。何か言おうとしたが——結局、無言のまま立ち去った。
その後ろ姿には、焦燥と——小さな、焚き火のような怒りの影が滲んでいた。
翌日。
編成停止は正式に解除され、俺は書類室に戻った。
「おかえり」
凛が入り口で待っていた。手には分厚い依頼書の束。
「さっそくだけど——溜まってるの。三日分。できる?」
俺は机の上に万年筆を置いて、深呼吸を一度。
「……やります」
依頼書を一枚、手に取る。目を通す——頭の中に顔が浮かぶ——ペンが走る。この繰り返し。たった三日ぶりなのに、懐かしい感覚だった。
(俺にできるのは、これだけだ)
編成を組んで、成功率を上げて、死者を減らす。それが俺の「整理」だ。
「桐生くん」
二時間ほど経った頃、凛が声をかけてきた。その表情がいつもより硬い。
「さっき、西園寺副マスターが——王都本部のほうに、なにか手紙を送ったらしいの」
「……手紙?」
「内容はわからない。でも——王都本部に顔が利く相手に宛てたものだって、伝令の子が言ってた」
王都本部。この辺境ギルドを統括する、上の組織。
「……まさかとは思いますけど」
「うん。たぶん——あなたのことを、報告したんだと思う。『危険な異端者だ』って」
凛は机に両手をついて、真剣な目で俺を見た。
「これから、たぶん——いろいろ面倒なことになる。西園寺さんは、自分の立場を守るためなら、何でもする人だから」
俺は万年筆を置いて、窓の外を見た。
秋の空が、どこまでも高く澄んでいる。この世界に来て、もう二ヶ月近くになる。最初はハズレ職の笑い者だった。今は——副マスターに睨まれる編成師。我ながら、ろくな立場じゃない。
でも。
「……やれることをやるだけです」
「それでいいの?」
「はい。俺にできるのは、それだけですから」
凛は少しだけ黙ってから、小さく笑った。
「そっか。じゃあ——私も、やれることをやる。データの精査、マスターの指示通り、過去三ヶ月分全部出すわ。西園寺さんの編成がどれだけ失敗してたか——数字で、はっきりさせてやる」
彼女の目には、もう迷いがなかった。
西園寺圭祐という男は——まだ、何かを企んでいる。王都本部への密告。それはきっと、俺をこのギルドから追い出すための、最初の一手に過ぎない。
次の一手は、もっと危険なものになるかもしれない。
でも——今はまだ、目の前の依頼書を整理するしかない。
いつか、整理すべき「人の繋がり」が——もっと大きなものになるとしても。
俺はペンを握り直した。
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