6話 違和感

才能ゼロで追放された三男、実は最強の無属性でした2026-06-01 16:15:52

6話 違和感

畑仕事を始めてから、半年が過ぎていた。
秋の気配が谷間に忍び寄り、朝夕の空気がひんやりと肌を刺すようになった。夏の間中、あれほど濃かった山の緑が少しずつ色褪せ、遠くの峰には早くも初雪が降りたという噂が村の井戸端で交わされている。麦の収穫は終わり、納屋には干し草が山のように積まれ、畑は次の冬野菜の準備に入っていた。大根の二回目を漬け込み、白菜の苗を植え、玉ねぎを吊るして乾燥させる——半年前には一つも知らなかった農作業のすべてが、今では俺の日常になっていた。
半年——振り返れば、あっという間だった。春の雪の日にガルドに拾われ、鍬の握り方すら知らなかった俺が、今では一人で畝を三本も耕せるようになっている。手のひらのタコは硬く厚くなり、日焼けした顔は——井戸の水面に映る自分の顔を見るたびに——もう屋敷にいた頃の面影をほとんど残していなかった。金色の髪は伸び放題で、碧い瞳だけがあの頃のままだ。
でも、変わったのは体だけではなかった。
自分の身の回りで起きている「現象」を、俺は決定的に意識し始めていた。
きっかけは、肥料袋の中の鉱石粉だった。
ガルドが村の行商人から買ってきた肥料には、細かく砕かれた鉱石の粉末が混ぜられていた。山で採れる安価な廃鉱石を粉にして、土に混ぜることで作物の根に微量の魔力成分を行き渡らせる——この辺境では古くから使われている農法らしい。俺は言われた通りに、袋から粉をすくっては畝に撒き、またすくっては撒き——と、半日かけて作業を続けていた。
その日の夕方、肥料袋の口を縛ろうとして——手が止まった。
(……なんだ、これ)
袋の底に残っていた鉱石粉が、朝とはまったく違う姿に変わっていた。作業前に見たときは、灰色のさらさらとした粉だった。それが——小さな結晶の粒に変わっている。一粒一粒が、囲炉裏の火を受けてきらきらと輝いている。光の当たる角度によって、透明に近い白から淡い青へと色が変わる。まるで——粉が一晩のうちに「育った」かのように。
俺は恐る恐る、結晶を一粒つまみ上げた。硬い。爪で弾くと、チン、と澄んだ音がした。完全な結晶構造を持っていて、表面には規則正しい面がいくつも見える。これは明らかに——朝撒いた鉱石粉とはまったく別の物質になっていた。
(俺が——やったのか。いや、俺の手が)
思い当たることは一つしかなかった。俺は今日、何度もこの袋に手を突っ込んで粉をすくい、畝に撒いていた。そのたびに、手のひらの中で粉がかすかに温かくなるのを感じていたのだ。あの温もりが——粉の何かを変えた。そうとしか考えられなかった。
俺は誰にも言わずに、結晶の粒をいくつかポケットにしまった。ガルドにも——まだ言えなかった。言ったところで、何を言えばいいのかもわからなかった。
その週のうちに、もう一つの異変が起きた。
大根を収穫した後の畝を耕し直して、次の作付けの準備をしていた時だ。いつも通りに鍬で土を起こし、石を取り除き、表面をならして——それだけの作業だった。種はまだ何も蒔いていない。
翌朝、畑に出て、俺は立ち尽くした。
耕したばかりの何もないはずの畝から——芽が出ていた。
緑色の、小さな芽。双葉が開ききる前の、黄緑色の点のような芽が、畝のあちこちから顔を出している。ざっと見て二十本以上。種類はばらばらだが、どれも明らかに——雑草ではなかった。
一番大きく育っていたものに近づき、葉の形を確かめる。小さな銀色がかった葉。特徴的な深い切れ込みのある形。裏側には月光を溜めるという微細な毛がびっしりと生えていて、指先にさらさらと触れる。これは——『初級薬草学』の図鑑で見たことがある。「月光草」だ。
(月光草——)
傷に貼ると治りが早く、煎じて飲めば熱を下げる。辺境では貴重な薬草の一つで、普通は山の奥深く、日陰の湿った斜面にしか自生しない。いくら探しても見つからないからこそ、行商人が高値で買い取るという希少種。
それが——耕したばかりの、何も蒔いていない畝から生えている。それも、たった一日で。
(……ありえない。こんな現象、教科書のどこにも載っていなかった)
魔法学院で読み漁ったあらゆる本を思い返しても、植物の成長をここまで加速させる記述は存在しない。せいぜい、適切な条件を整えて成長速度を「一割から二割促進する」程度。一日で発芽からここまで成長するなんて——魔法の領域を超えている。まったく別の何かだ。
俺は膝をついて、月光草の葉にそっと触れた。間違いなく本物だった。図鑑の記述と同じ、少し冷たい感触。葉の縁はわずかに湿っていて、まだ産まれたばかりの瑞々しさを保っている。
(俺が耕した土から——勝手に薬草が生えた)
その場にしゃがみ込んだまま、動けなかった。胸の奥で、何かがざわざわと音を立てている。これが何を意味するのか——認めたくなかった。でも、認めざるを得なかった。俺の手が、俺の知らないうちに、何かを起こしている。
そして、決定的な出来事が起こったのは、それからさらに一週間後のことだ。
村の井戸が、枯れかけた。
カルドの村は谷間にあるため、水にはあまり困らない土地柄だった。村の中心にある共同井戸は、どんな日照りでも枯れたことがないと古老たちが口を揃えて言うほど、水量が豊かだった。だが——今年に限って、秋口から水位がじわじわと下がり始め、十月に入るとついに桶を落としても底の泥しかすくえなくなった。
「このままだと冬が越せん」「新しい井戸を掘るにしたって、人手も金も足りん」「沢まで水を汲みに行くのは遠すぎる」
井戸端に集まった村人たちの顔は暗かった。女たちは空の桶を手に途方に暮れ、男たちは腕を組んで溜息をつくばかり。誰もが手立てを見つけられずにいた。
俺はなぜか——あの井戸が、気になって仕方なかった。
用もないのに井戸のそばを通り、石組みの縁に手を触れてみる。冷たい。水の気配はほとんど感じられない。でも——井戸の底の方から、かすかに「何か」を感じた。耳を澄ませばかすかな地鳴りのような、地中深くから響いてくる脈動。追放の夜、麦畑の土から感じたのと同じ——大地の鼓動。
(気のせいか。いや——でも、気のせいじゃないかもしれない)
そう思いながらも、俺はある夜——村人たちが全員寝静まった深夜に、こっそりと井戸の蓋を開けた。
桶を吊るすロープを伝って、石組みの壁に足をかけながら底まで降りた。冷たく湿った空気が肌にまとわりつく。狭い——大人一人がやっと立てるだけの空間。足元には、かろうじて湿り気を残した泥があるだけだった。井戸は、完全に干上がりかけている。
俺は膝をつき——なぜそうしたのか、自分でも説明できない——井戸の底の、いちばん大きな石に手を触れた。
冷たい。深い井戸の底で、何年も陽の光を浴びていない石は、骨の芯まで冷えるような冷たさだった。でも——掌の下から、かすかな脈動が返ってくる。土と同じ。いや、土よりずっと強い。大地の奥深くから水脈を伝って響いてくる、ゆっくりとした力強い鼓動。
(これだ)
俺は目を閉じて、その鼓動に意識を集中させた。石に触れた手のひらが、じわじわと熱を持ち始める。自分の中の何かが、手を通じて石に流れ込み——石の中の何かが、それに応えて目覚める。何かが循環している。俺と、大地と、水と——そのすべてが、静かに繋がっていく感覚。
どれだけそうしていただろう。五分か、十分か。あるいは一時間近くか。手を離すと、石は——さっきより温かくなっていた。鼓動はまだ続いている。
翌朝、いちばん早く井戸に来た村の女が、鋭い叫び声を上げた。
「水だ! 水が戻ってる! それに——すごい量だ!」
寝巻き姿のまま駆けつけた村人たちが、次々と井戸を覗き込む。昨夜までは泥しかなかった底に、今は澄んだ水が溢れんばかりに溜まっていた。それも——普段の倍近い水量。水面は朝日を受けてきらきらと輝き、桶を落とせばすぐに満杯になる。水は冷たく、口に含めば山の岩清水のような清冽な味がした。
「こりゃすごい。井戸掘りの親方に頼むよりよっぽど——」「いったいどうして」「ガルドの旦那が昨夜なんかしたんじゃないか」
村人たちの噂の矛先は、案の定ガルドに向かった。だがガルドは、井戸の縁に手をかけ、水面をじっと見つめてから——「知らん」と一言だけ言って、畑に戻っていった。誰も、井戸の底に夜中に降りた少年が、たった一度石に触れただけで枯れかけた井戸を蘇らせたことには気づかなかった。
でも。
ガルドだけは——小屋に戻った俺を、囲炉裏の前で待っていた。手には、いつもより少しだけ粥の量が多い椀。
「……ふうん」
それだけだった。それだけで——すべてを語っていた。お前がやったんだな、と。理由は聞かない。説明も求めない。ただ、事実として受け止める——それがガルドのやり方だった。
俺は何も言えず、椀を受け取って囲炉裏の前に座り込んだ。ガルドはいつも通り、自分の椀を手に取り、黙々と粥をすすり始めた。何も聞かず、何も追及せず、ただいつもの夕餉が始まった。小屋の中には、火の爆ぜる音と、箸の動く音だけが響いている。
(この人は——本当に、何も聞かないんだな)
生まれて初めて出会った、そんな大人だった。すべてを問わず、ただ受け入れる。それが怖くもあり、そして——底知れない救いでもあった。
その夜、俺は納屋を抜け出して、一人で畑の真ん中に立っていた。
月が明るかった。十月の澄み切った空気の向こうで、満月が畑全体を青白く染め上げている。収穫を終えて何もなくなった畝が、月光を受けて銀色の波のようにどこまでも続いていた。
俺は自分の両手を、月明かりに透かして見つめた。
硬く分厚くなったタコ。土の染み込んで黒ずんだ爪の間。半年前には白く細くて、少し力を入れただけで赤くなった手——今はもう、すっかり農夫の手になっている。でも、この手はただ畑を耕すだけの手じゃない。
鉱石粉を結晶に変えた。何も蒔いていない土から薬草を芽吹かせた。枯れかけた井戸に、触れただけで水を呼び戻した。
「……これは」
自分でも信じられないことを、口にしてみる。声は月明かりに吸い込まれて、誰の耳にも届かない。
「魔法——なのか」
魔法学院の水晶球が示した数値は、ゼロだった。鑑定士が四度測り直して、四度同じ結果を出した。才能値ゼロ——この国で、魔法を使う資格のない人間に与えられる烙印。それが、俺に下された評価だった。
でも、もし。
(あの「ゼロ」が——本当の「無」じゃなかったとしたら)
数値が「測定不能」だったから、装置がゼロと表示しただけだとしたら。あるいは——魔法の尺度そのものが、俺という存在を捉えられなかったのだとしたら。
測定不能。想定外。規格外。そんな言葉が、頭の中をぐるぐると回る。
(わからない。でも——)
でも、これは確かに「力」だった。誰に認められなくても、学院が否定しても、父が嘲笑っても——この手のひらから伝わる熱は、嘘じゃない。鉱石が結晶になる。薬草が生える。水が湧く。どれもこれも、紛れもない現実だ。
俺には、わからないことだらけだった。この力の正体も、使い方も、限界も。なぜ自分にだけこんな力があるのかも——まったくわからない。
でも——少なくとも。
俺は、ただの「才能ゼロ」じゃ、なかった。
ゆっくりと膝をついて、畑の土に両手を押し当てた。
冷たい。夜の土はもう冬の気配を孕み、触れた指先がかじかむ。でも、掌の奥から——確かな温かさが返ってくる。半年前、追放された夜の麦畑で初めて感じた、あの大地の鼓動。あの日からずっと——それは俺の手の中にあったのだ。
顔を上げると、月明かりの下で、俺が耕した畝がまっすぐに伸びている。今は何も植わっていない。でも、春になれば——また種を蒔く。俺の手で、この指で、一粒ずつ。芽が出て、葉が茂り、いつか花が咲く。
(この力が何なのか——まだ、わからない)
(でも、いつか——必ず)
立ち上がって、ポケットから鉱石の結晶を取り出した。月明かりに透かすと、結晶の内部に細かな光の筋が走っているのが見える。まるで——小さな星が閉じ込められているかのように。
俺はそれを握りしめて、納屋に戻った。誰にも言えない秘密。でも——これだけは確かな、自分だけの「証拠」だ。
藁の上に横たわり、天井の梁を見つめながら、俺はもう一度手のひらを開いて結晶を見た。暗闇の中で、結晶はかすかに青白く輝いている。
(いつか——この力の正体を、必ず知りたい)
それが、「ゼロ」という言葉の本当の意味を知るための——最初の問いだった。
Collect1
Comment0
Generate
Enter any idea, and AI completes the work in one click