5話 キャプテンの賭け「ツンデレキャプテンは人を褒めない。ただし俺には一言多い。」
5話 キャプテンの賭け「ツンデレキャプテンは人を褒めない。ただし俺には一言多い。」
ヘッドセットにカウントダウンが流れる。
3。
キーボードを叩く指が、かすかに震えている。
(心臓、うるさすぎる)
2。
キャプテンの声はない。呼吸さえ聞こえない。静かすぎるほど静かだ。
1。
画面が切り替わる。最後のセットが、始まろうとしていた。
第3セット。スコアは0-0。空白の盤面に、互いの一手が刻まれていく。
相手エースのスパイクを渡辺がギリギリで拾う。ボールが腕に当たる鈍い音。田村がトスを上げ、高橋が跳ぶ——ブロックに弾かれる。跳ね返ったボールを渡辺がまた拾う。コートを擦るシューズの音が断続的に響く。
3-3。
5-5。
7-7。
一進一退。両者、一歩も譲らない。モニター越しにも、互いの息遣いが張り詰めているのがわかる。
(消耗戦になる。相手の体力はこっちより上——長期戦は不利だ)
そう頭をよぎった、その直後。
「俺に一度、ボールを回せ」
キャプテンの声が、チームチャンネルに落ちた。
全員の動きが一瞬止まる。
高橋の踏み込みが遅れ、田村のトスが一拍、迷う。
(——え)
キャプテンが自分からボールを要求した。普段は指示に徹し、絶対に前に出ない男が。なのにその声はいつも通りで、ただほんの少しだけ、声の低いところが震えている気がした。
それでもキャプテンは動いた。後衛からスパイクポジションへ——誰も見たことのない加速で。相手ブロックが反応する。遅い。
ダン。
コートに突き刺さる一撃。スコア8-7。
「……いくぞ」
それだけ言って、キャプテンは定位置に戻る。無表情。いつも通り。
でも。
(目が、違う)
モニター越しに映ったキャプテンの瞳に、画面の明かりとは別の光が灯っていた。冷たいままなのに、その奥だけが熱を持っている。
ゾクリ、と背筋が震える。
(キャプテンが自分から前に? 絶対にやらない。これは——なにかある)
スコアは動き続ける。
10-10。12-12。
相手がこちらのパターンに適応し始めていた。高橋のスパイクコースが読まれ、渡辺のレシーブポジションを先回りされる。俺の出したデータの偏りも、相手分析班に割られている感触がある。
(さすがは格上。こっちの手の内、なぞられてきてる)
高橋のスパイクがまたブロックされる。渡辺が飛び込む——届かない。ボールが床を叩く乾いた音。12-13。初めてリードを許した。
「タイムアウト」
相手チームの要求。インターバル。
ヘッドセットを外した高橋が、苦い顔で天井を仰ぐ。
「クソ……コース全部、読まれてる」
「相手の分析班も優秀だな」
田村がうつむく。渡辺は呼吸を整えながら、無言でボトルを呷っている。
俺はタブレットに目を落とした。データをスクロールする。相手の適応速度が予想以上だ。次の一手。その次の一手。全部、紙一重で覆される。指が、キーボードの上で迷う。
(どうする。どう動く)
そんな俺の視界の端で。
キャプテンの指先が、止まっていた。
キーボードの上に置かれたまま、微動だにしない。モニターの光が指の輪郭を白く縁取っている。まるで、すべてを見切ったあとのように。
(なにか——覚悟ができてる顔だ)
その静けさに、かえって心臓が早鐘を打つ。
タイムアウトが明ける。
スコア13-13。文字通りの一騎打ち。
相手のサーブ。渡辺が拾い、田村がトスを上げる。高橋が跳ぶ——読まれた。ブロックが壁になる。渡辺のレシーブがギリギリで繋ぐ。
(クソ——)
その瞬間。
視界の隅で、キャプテンが動いた。
後衛から、最も危険なクロスポジションの前線へ。誰も予想していなかった動線。普段なら絶対に取らないポジション。相手ブロックが慌てて陣形を修正する。
(キャプテン——囮になる気だ)
彼は自らを囮にし、相手の意識を一瞬、自分に集めた。その一瞬で、高橋へのマークが緩む。高橋が打つ。決まった。14-13。マッチポイント。
だが。
相手エースが、キャプテンの死角へ動いている。マークを外し、着地地点の真裏へ。キャプテンは気づいていない。いや、気づく余裕がないほど前線に飛び出している。
(読まれている)
相手の狙いは明白だ。キャプテンの着地の瞬間。背中が向いた、そのタイミング。終わりの一手を、キャプテンの背中に叩き込むつもりだ。
「——佐藤」
ヘッドセットの中で、チャンネルが切り替わる音。カチリ、と。
プライベートチャンネル。
チーム全員には聞こえない、たった一つの回線。外の音が遠のく。高橋の呼吸も、渡辺の声も、田中のキーボードも——全部が消えた。
「お前なら、拾える」
一切の迷いがない声だった。普段より少し低くて、でも驚くほど静かで。ヘッドセット越しなのに、すぐ隣で囁かれたみたいに鮮明だった。
(この人は——俺を信じて、囮になったのか)
キャプテンが前に出た理由。自分からボールを要求した意味。チームの誰にも打ち明けず、たった一人で仕掛けた賭け。全部、この一瞬のために。
俺の分析力を。俺の読みを。俺という選手を。この人は信じて、自分の背中を差し出した。
(勝つ。絶対に拾う。この人の賭けを、絶対に無駄にしない)
キャプテンの着地。相手エースの踏み込み。スパイクの角度。コース。タイミング。データと勘と——あの人の信頼。全部が一瞬で噛み合う。
(ここだ)
俺は跳んでいた。
相手のスパイクがキャプテンの背中を狙う——その軌道の先へ。腕を伸ばす。指先が、ボールの表面を捉える。衝撃が腕を貫く。骨の芯まで響く感覚。でも。
(届いた)
「高橋!」
叫ぶ。高橋が跳ぶ。俺が上げたボールが、相手コートの死角へ——ブロックの逆を突く。
ダン。
相手リベロが飛び込む。指先が伸びる。届かない。
スコア15-13。
——勝った。
ヘッドセットが爆発した。
「うおおおおおお!」高橋が俺の肩をバンバン叩く。
「やったああああ!」渡辺が両手を突き上げ、田村がその場に崩れ落ちて涙をこぼしている。田中の目も潤んでいて、それでも「よっしゃああ!」と誰よりでかい声を張り上げている。
「キャプテン、あれなんだったんすか!」
高橋が息を切らしながら詰め寄る。
「自分から前に出るなんて、今まで一回もなかったのに!」
「めっちゃびっくりしましたよ」
渡辺も声を上げる。
「キャプテンが囮になるなんて——俺、何が起きたかわかんなかったっす」
キャプテンはいつもの無表情だ。ヘッドセットを外し、マウスを静かに置く。何も答えない。
そのとき。
田中がニヤリと口元を歪めた。嫌な予感しかしない笑顔だ。
「副キャプテンを信じてたってことだよな」
部屋の空気が、一瞬で変わった。
高橋の手が止まる。渡辺が固まる。田村が涙を拭いながら顔を上げる。
全員が、俺とキャプテンを見た。
(田中さん。空気読め。いや、読んだ上で言ってるな、この人)
キャプテンは——否定しない。
無表情のまま、そっぽを向く。モニターの電源を落とす仕草だけが、やけに長い。
耳が。
(赤い)
わずかに、でも確かに。試合中じゃないのに。緊張しているわけでもないのに。
「やっぱり!」
高橋が叫ぶ。
「キャプテン、副キャプテンには甘すぎるって!」
「ずるいっすよ、俺たちには何もないのに!」
渡辺が笑いながら抗議する。
田村が「副キャプテンだけだ……」と呟いて、また泣きそうな顔で笑った。
(否定しろよキャプテン。いや、否定しないのかよ。それってつまり——)
俺も顔が熱い。
(クソ。俺まで赤くなってる。試合のせいだ、絶対に試合のせい——)
田中が俺の肩をポンと叩く。
「良かったな、副キャプテン。信じてもらえて」
その声は、からかうような調子なのに、どこか優しかった。
撤収作業が終わり、ロッカールームは静まり返っている。
みんな先に帰った。俺はタブレットを抱えて、控え室へ向かう廊下を一人で歩いていた。
試合データをまとめながら、それでも頭の中はさっきの声でいっぱいだ。
「お前なら、拾える」
たった六文字。それだけなのに——まだ耳の奥にこびりついている。
(あの声、普段より少しだけ柔らかくなかったか。いや、気のせいだ。気のせい——)
背後から足音。
振り返ると、キャプテンが立っていた。
廊下に二人だけ。蛍光灯の白い光が、やけに静かに降っている。
キャプテンが足を止めた。俺も止まる。
沈黙。
一拍。
二拍。
「……悪くなかった」
え、と声が出そうになった。
「まあよかった」じゃない。「悪くなかった」。
「まあ」が消えている。
(初めてだ。この人が「まあ」を外したのは)
何か言おうとした。でも言葉が出ない。喉の奥が熱くて、声にならない。
キャプテンは俺の顔を見ない。視線は廊下の先の、どこでもない場所に向けられている。
「だが——」
背を向ける。立ち止まり、振り返らずに。
「これで終わりじゃない」
それだけを言い残して、キャプテンは歩き出した。足音がゆっくりと遠ざかっていく。
俺は立ち尽くす。タブレットを抱えたまま、その後ろ姿を見送ることしかできない。
(「悪くなかった」——今までで一番、褒められた)
胸の奥が熱い。それと同時に、別の感情がせり上がってくる。
公式戦はまだ続く。今日の相手は強かったが、次はもっと強い。全国クラスの相手と当たるかもしれない。
この人の隣に立つために——まだまだ足りない。
タブレットを握りしめる。
次の公式戦まで、あと二週間。
それまでに、俺はもっと強くなる。この人の、隣に立つために。
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