7話 告白と勘違いの答え「君が綺麗すぎて、怖がっている暇がありません」

君が綺麗すぎて、怖がっている暇がありません2026-05-08 16:29:01

7話 告白と勘違いの答え「君が綺麗すぎて、怖がっている暇がありません」

第7章 告白と勘違いの答え
夜が明けた。
蓮は窓の外に広がる東京の朝焼けを見つめながら、何度目かわからない深呼吸を繰り返していた。
(今日だ)
昨日の決意が、胸の奥で熱く脈打っている。あの瞬間、陽向の笑顔を見た時に確かに感じた感情——それはもう、誤魔化せないものだった。
「この気持ちは、もう隠さない」
自分に言い聞かせた言葉が、今も鮮明に残っている。
時計の針は午前八時を指していた。いつもより三十分早く出社した蓮は、デスクに向かいながらも視線を自動的に陽向の席へと向けた。
まだ誰もいない。
(来るな、早く来い)
心の中でそう叫びながらも、蓮の表情は相変わらずの無表情——いや、「鬼の黒崎」として恐れられる冷徹な仮面を張り付けていた。
(落ち着け、俺。ただの告白だ。世の中毎日数千人が告白している。大したことじゃない)
そう自分に言い聞かせるが、机の上で組んだ指が微かに震えていることに蓮自身も気づいていた。
午前九時過ぎ、陽向が事務所に飛び込んできた。
「おはようございます! 黒崎さん!」
明るい声が響く。陽向はいつものように、朝日のような笑顔を振りまいていた。
「……おはよう」
蓮は短く応じるだけにとどめた。普段なら「遅い」とか「服装がだらしない」とか、何かしら注意をつけるところだが、今日はそれどころではなかった。
(話さなければ。今日中に、絶対に)
昼休みも、午後の打ち合わせも、蓮の頭の中は告白のことでいっぱいだった。いつ話せばいいか、どこで話せばいいか、何と言えばいいか。
そして、仕事が一段落した午後六時。
蓮は陽向のデスクに近づいた。
「佐藤」
「はい、何でしょうか?」
陽向が顔を上げる。無垢な瞳が蓮を見つめた。
「……屋上、来い。話がある」
「屋上ですか? わかりました!」
陽向は疑問も呈さず、素直に頷いた。その無防備な笑顔を見て、蓮の胸は一層高鳴った。
(馬鹿め。何も疑わないで……そんな顔をされると、余計に緊張する)
エレベーターに乗り、屋上へ向かう途中も、蓮の心臓は暴れ馬のように鼓動を続けていた。掌が汗ばんでいる。喉が乾く。視界が妙に鮮明になる。
(落ち着け。ただの告白だ。断られても、仕事は続ける。それだけだ)
そう自分に言い聞かせるが、足取りは重かった。
屋上の扉を開けると、夕暮れの風が二人を包んだ。オレンジ色に染まる空が、東京のビル群を黄金色に照らしていた。
「わあ、綺麗ですね!」
陽向は無邪気に歓声を上げ、手すりに寄りかかった。
「黒崎さん、こんな時間に屋上に呼び出すなんて、何か重要なお話ですか? 新しいプロジェクトのこととか?」
「……違う」
蓮は深く息を吸った。
(今だ。言うんだ、今)
「佐藤、俺は——」
「あ、黒崎さん!」
陽向が先に口を開いた。振り返ったその顔は、いつもの明るさに加えて、何か真剣な色を含んでいた。
「実は僕も、ちょうど黒崎さんに言いたいことがあったんです!」
(——なんだと?)
蓮の心臓が止まりそうになった。まさか、陽向も同じ気持ちで——?
「いいですか? 言ってもいいですか?」
陽向の目が輝いている。期待に満ちた、純粋な輝き。
(来た……!)
蓮の全身に電流が走った。夢のような展開。まさか自分が両思いになるなんて——
「黒崎さんのことが——」
「——ああ」
蓮は無意識に頷いていた。頬が緩む。心臓が破裂しそうな鼓動を打つ。
「大好きです!」
——世界が、輝いた。
陽向の声が、夕暮れの空に響いた。その瞬間、蓮は自分が人生で一番幸せな瞬間を迎えたと確信した。
(言った……! 言ってくれた……!)
蓮の唇が自然と弧を描く。普段は決して見せない、本当の笑顔——ありのままの、幸せな表情。
「俺も——」
蓮は口を開こうとした。自分の気持ちを、やっと伝えられる——
「先輩として、本当に大好きです!」
——時間が、止まった。
陽向の言葉が、蓮の脳内でゆっくりと回転した。先輩として。先輩として?
「え?」
蓮の声が裏返った。
「黒崎さんは僕の憧れの先輩で、いつかあんな風になれたらいいなって思ってるんです! 厳しくて、でも仕事への情熱がすごくて、頼りになる先輩——そんな先輩が、僕の隣にいてくれて、本当に嬉しいんです!」
陽向は照れくさそうに笑いながら、そう語りかけてきた。
その無垢な笑顔は、何も知らない——いや、知る由もない純粋さそのものだった。
(……は?)
蓮の思考が停止した。
先輩として。憧れ。頼りになる先輩。
言葉の意味が、遅れて蓮の頭に染み込んでくる。
(……違うのか)
先ほどまでの狂喜が、一瞬にして冷え切った。高鳴っていた心臓が、谷底へ落ちる音がした。
「黒崎さん? どうかしましたか?」
陽向が心配そうに顔を覗き込んできた。
蓮は自分の表情が変わっていることに気づいていた。頬が引きつり、血色が失せている。先ほどまでの幸福な笑顔は、どこかに消え失せていた。
「……いや」
蓮は絞り出すような声で応じた。
「何でも、ない」
「でも、お顔色が……」
「心配ない」
蓮は強引に口角を上げた。作り笑い——それも、酷いものだった。
「そうか、先輩として、か」
「はい! 尊敬してます!」
陽向は満面の笑みで頷いた。その無邪気さが、今の蓮には突き刺さる。
(バカな。何を期待していたんだ、俺は)
心の中で、蓮は自分を罵倒した。
陽向が自分に恋心を抱いている——そんな根拠のない期待を、勝手に膨らませていただけだった。二十二歳の新入社員が、二十八歳の同性的上司に恋心を抱くはずがない。当たり前だ。
「……そうか。嬉しい、な」
蓮は言った。声は妙に乾いていた。
「先輩として、慕われるのは」
「本当ですか? よかったぁ……」
陽向は安堵の表情を見せた。先ほどまでの緊張が嘘のように、明るい笑顔に戻っている。
「変な誤解をさせちゃったかと思って、ドキドキしてたんです。黒崎さんって、時々難しい顔をされるから、もしかして僕、何か失礼なこと言っちゃったかなって」
「……違う」
蓮は首を振った。
「お前のせいじゃ、ない」
全部、自分の勝手な勘違いだった。陽向は何も悪くない。純粋に、先輩として慕ってくれているだけなのだ。
「黒崎さん?」
陽向が、再び心配そうな顔をした。
「本当に大丈夫ですか? お顔色、悪いですよ?」
「……少し、疲れているだけだ」
蓮はそう言い訳しながら、視線を夕暮れの空へと向けた。
オレンジ色の空は、先ほどまでのように美しく見えなかった。ただの、沈みゆく太陽の光にしか見えなかった。
(諦めるか?)
心の中で、蓮は自問した。
いや——違う。
蓮の瞳に、再び静かな光が灯った。
(まだ、終わってない)
陽向が自分を先輩として慕っている。それは事実だ。だが、それはスタート地点に立っただけのこと。これから先、どうなるかはわからない。
「……佐藤」
蓮は低く呼びかけた。
「はい?」
「今日のこと、忘れろ」
「え? でも、先輩として慕っているって言ったこととか——」
「違う」
蓮は首を振った。
「俺が、屋上に呼び出したことだ。……理由は、まだ言えない」
「はあ……」
陽向は不思議そうに首を傾げたが、すぐに笑顔を見せた。
「わかりました! じゃあ、黒崎さんが言いたくなった時に、教えてください!」
「……ああ」
蓮は短く応じた。
その笑顔——陽向の無垢な、先輩を慕う後輩の笑顔を見ながら、蓮は心の中で静かに誓っていた。
(諦めない。次こそは、ちゃんと伝える)
夕日が二人を照らす中、蓮と陽向は並んで屋上に立っていた。同じ場所にいても、見ているものは違う——蓮はそれを知りながら、それでも前を向いていた。
「そろそろ、降りましょうか」
「……そうだな」
二人は屋上を後にした。
陽向は、尊敬する先輩と過ごした時間を、心の中で温かく噛み締めていた。
蓮は、まだ届かない恋心を胸に、次の機会を待っていた。
同じ笑顔を浮かべながらも、二人の胸の内は、まるで違う温度を持っていた。
それは、まだ始まったばかりの——片思いの物語だった。
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