第6章 修学旅行の夜「幼馴染と転入生、俺を巡る学園ラブコメ戦争」
第6章 修学旅行の夜「幼馴染と転入生、俺を巡る学園ラブコメ戦争」
朝の校門は、普段の何倍も賑わっていた。
「おい悠斗、見ろよ! あのクラスの飾り、マジですごいぞ!」
隣を並んで歩きながら、山田健太が興奮気味に指さす。三年二組の教室は、まるで中世ヨーロッパの城郭のように装飾されていた。廊下には深紅の絨毯が敷かれ、窓にはステンドグラス風の飾りが秋の光を乱反射している。
「文化祭か……」
俺——佐藤悠斗は、呆然とその光景を見上げた。
桜ヶ丘高校の文化祭は、地域でも随一の規模を誇る。今年は三年生にとって最後の文化祭ということで、各クラスとも本気の本気で挑んでいる。屋上では屋台の設営が進み、講堂からは演劇のリハーサル音楽が漏れ聞こえる。
(……あれ? 妙だな。胸がザワつく)
不思議な予感がした。まるで、何か大切なことが、今まさに起ころうとしているような——
「悠斗くん」
背後から、聞き慣れた声。振り返ると、演劇部の制服——白いブラウスに赤いリボンを纏った千早が立っていた。普段の無表情とは打って変わり、どこか満ち足りたような微笑みを湛えている。
「おはよう。王子様の衣装、準備できてるわよ」
「は? 衣装?」
「主役でしょう? 『王子と忘れられた約束』の」
(あ——そうだった!)
完全に忘れていた。千早に半ば強引に押し付けられた演劇のこと。今日が本番だというのに、頭からすっかり抜け落ちていた。
「お前、何で主役なんだよ」
健太が呆れたように言った。
「いや、それが……」
「ふふ」
千早が意味深に微笑む。
「今日は全てが明かされるわ。——楽しみにしてて」
その言葉に、再び胸の鼓動が高鳴った。何を明かすつもりなんだ、こいつは。
演劇部の準備室は、衣装や小道具で埋め尽くされていた。
「じゃあ、着替えてきて」
千早が差し出したのは、白地に金糸の刺繍が施された豪奢な王子の衣装だった。本物の貴族が纏うに相応しい、凝った作り。
「おお、すげえなこれ……」
「私が着替えを手伝う!」
突然、葵が飛び込んできた。顔を真っ赤にしながら、衣装を俺の手から奪い取る。
「な、なんでお前がここにいるんだよ!」
「だ、だって……悠斗が王子様なら、隣にいるのは私でしょ!」
「佐藤君」
今度は莉奈が現れた。いつものクールな表情だが、瞳は鋭く俺を射抜いている。
「王子なら、私が隣にいるべきじゃない? 隣の席の相棒として」
「ちょ、ちょっと待て、二人とも——」
「ふふ、盛り上がってるわね」
千早が冷静に場を見守っている。どう見ても楽しんでいる。
「葵さん、莉奈さん。悠斗くんの着替えを手伝うのは、演劇部の役目です」
「でも!」
「——ですが」
千早が一歩前に出る。
「舞台裏で、二人ともに話があるの。今だけは、譲ってもらえる?」
その言葉に、葵も莉奈も一瞬言葉を詰まらせた。
「……わかったわ」
「……仕方ない」
二人が渋々と退く。俺はほっと胸を撫で下ろす。
「……あいつら、何を話すつもりなんだ」
「さあ?」
千早はにっこりと笑っただけだった。
準備室の隅で、伊藤美咲が呆れたように呟く。
「……はあ。佐藤くん、本当に鈍感ね」
舞台裏は、薄暗く、緊張感に満ちていた。
カーテンの向こうから、客席のざわめきが漏れ聞こえる。開演まであと十分。俺は王子の衣装に着替え終え、鏡の前で身だしなみを整えていた。
「悠斗」
突然、葵が俺の手を引っ張った。舞台裏の隅——誰にも見えない死角へ。
「ちょ、葵——」
「静かにして」
彼女は真剣な表情で、俺の目をまっすぐ見つめた。普段のツンデレな態度とは別人のよう。今の彼女は、ただの十七歳の少女だった。
「悠斗、私……」
喉が鳴る音が聞こえそうな緊張。
「あの夏のこと、ずっと覚えてる」
——あの夏。
十年前。まだ幼かった俺たちが、あの庭で過ごした日々。確かに、葵とは一緒に遊んだ。けれど、詳細は——
「選んで。私を」
葵の目が潤んでいる。本気だ。本気で、そう告げている。
「葵、俺——」
「佐藤君」
莉奈の声がした。葵が慌てて身を引く。
「莉奈……」
「舞台袖でイチャイチャするのは、さすがに見苦しいわね」
クールな口調だが、目は鋭い。葵は唇を噛み、莉奈を睨んだ。
「……邪魔をしないで」
「逆よ。邪魔しているのはあなた」
莉奈が一歩前に出る。
「佐藤君、転校してきてから、楽しい毎日を過ごせた。——最後まで諦めない」
最後まで。
その言葉の重みに、俺の胸が締め付けられる。
二人の視線が交錯する。舞台裏の空気が、張り詰めた弓のようにギリギリに張り詰めていた。
(……どうしろと言うんだ、これは)
開演のベルが鳴った。
「——行くわよ、悠斗くん」
千早が現れ、二人を引き離すようにして俺を舞台袖へ導いた。
カーテンが開く。眩いスポットライトが降り注ぐ。
『王子と忘れられた約束』——演劇が始まった。
物語は、幼い頃に交わした王子と少女の約束から始まる。十年の時を経て再会した二人。しかし王子は、少女のことを忘れてしまっていた。
(……これ、俺たちの話じゃないか)
台本を読んだ時には気づかなかった。だが、今、舞台の上で演じながら、確信した。この物語は——俺と葵、そして莉奈の、あの夏の出来事を描いている。
「王子様、あなたは本当に、私のことを覚えていないの?」
ヒロイン役の三年生が、涙を浮かべて問う。
「……すまない。思い出せない」
俺は台本通りに答えた。だが、心の中では——
(本当に、思い出せないのか?)
客席がざわめく。物語はクライマックスへ向かう。
「王子様! 私を選んで!」
「王子様、私の方が——!」
舞台の上で、二人のヒロインが王子を巡って争う。まるで、本当の——
(いや、これは演劇だ。演技だ)
俺は深呼吸した。そして——
「二人とも、大切な人だ」
アドリブで、台本にない言葉を口にした。
客席が静まる。
「選べない……いや、選びたくない」
「王子様……?」
「今日は答えを出せない。でも——」
俺は二人のヒロインを見つめた。そして、客席の向こうにいるはずの、あの二人の顔を思い浮かべた。
「絶対に二人とも幸せにする——約束する」
一瞬の沈黙。
そして、客席から大きな拍手が湧き起こった。歓声。口笛。誰かが「王子様カッコいい!」と叫ぶ。
舞台袖で、千早が微笑んでいた。
演劇が終わり、講堂の出口には大勢の生徒が集まっていた。
「佐藤、すげえだったぞ!」
「王子様似合いすぎ!」
「最後の台詞、マジで鳥肌立った!」
クラスメイトたちに囲まれ、俺は照れくささと共に、妙な達成感を覚えていた。
「悠斗、私の隣にいてくれて……ありがとう」
葵がそっと近づいてきた。顔を赤くしながらも、どこか得意げに胸を張っている。
「あ、ああ……」
「人気者ね」
莉奈も微笑みながら近づいてきた。だが、その目は少しだけ鋭い。
「私だけに見せてほしい一面もあるのに。——ふふ」
(う、怖い……)
二人の視線がまた交錯する。まるで、演劇の続きを舞台の下でも演じているかのように。
「——さて」
千早が割って入った。
「次のステージは屋上よ。ついてきて」
「屋上?」
「ふふ、楽しみにしてて」
千早は意味深に微笑むだけだった。
校舎内は、文化祭の喧騒で満ちていた。
各クラスの出し物、部活の展示、屋台の賑わい。生徒たちの笑い声が、廊下に響き渡る。
俺たち四人——千早を先頭に、葵と莉奈、そして俺が、屋上へ向かって階段を登っていた。
「なあ、千早。屋上で何をするつもりなんだ?」
「もうすぐわかるわ」
階段の踊り場で、振り返った千早の表情は、いつになく真剣だった。
「悠斗くん。覚えてる?」
「何を?」
「十年前の夏。四人で遊んだの」
——四人?
「葵さんと莉奈さんとは、覚えてるんでしょう? 一緒に庭で遊んだこと」
「ああ……」
曖昧な記憶。確かに、あの夏は葵と遊んだ。莉奈とも、もしかしたら——
「でも、もう一人いたの。あの夏、四人で遊んだの」
千早の言葉に、葵と莉奈が顔を見合わせる。
「……もう一人?」
「ええ」
千早は静かに頷いた。
「でも悠斗くんは、一人を覚えていない。——だから、今日、憶えさせてあげる」
その言葉の重みに、俺の胸が高鳴る。
(もう一人……誰だ?)
階段の下で、伊藤美咲と健太がこっそり覗いているのに気づいた。
「おい、何見てんだよ……」
「いや、見ちゃったんだよ。つい」
健太が照れくさそうに言う。
「佐藤くん、本当に何も覚えてないのね……」
美咲は呆れたように呟いた。
葵と莉奈は、一瞬だけ視線を交わした。普段の敵対心とは違う——どこか、同じものを感じているような表情。
「……行きましょ」
「ええ」
二人が、珍しく協調して階段を登り始めた。
屋上の扉を開けると、そこには——
「あ、あの……お待ちしてました」
小さな声。保健委員の腕章をつけた、小柄な少女が立っていた。黒髪を三つ編みにし、大きな眼鏡をかけている。園田小雪——同じクラスの、あまり目立たない存在。
「小雪……?」
「佐藤君……十年前の夏、私もいたの」
小雪は震える声で言った。
「あの庭で、三人を見てた。——外で遊べなくて、窓から見てただけだけど」
「窓から……?」
「私、弱くて、外で遊べなくて……」
小雪は俯いた。
「でも、あなたがくれた花、今も持ってる」
——花?
記憶の奥で、何かが揺らぐ。あの夏、確かに——誰かに、花を——
「覚えてないよね。私なんて、目立たない子だったし……」
小雪が小さく笑う。悲しげな笑顔。
「でも、あなたが窓の下に立って、花をくれたの。『元気出せよ』って。——私、それが嬉しくて、今も大切に持ってる」
(……ああ)
思い出した。そうだった。あの夏、庭の隅に、小さな窓があった。そこから、誰かが見ていた。病気で外に出られない、誰か——
「小雪……お前、あの時の——」
「佐藤君」
小雪が顔を上げた。眼鏡の奥の瞳が、潤んでいる。
「私……あなたのことが、ずっと——」
言葉が途切れる。
屋上には、四人の少女が立っていた。千早、葵、莉奈、そして小雪。
四人の視線が、俺に注がれる。
(……四人とも)
胸が締め付けられる。頭の中がぐちゃぐちゃになる。
(大切な人たち、なんだよな)
屋上は、夕日に染められていた。
オレンジ色の光が、四人の少女の頬を照らす。風が吹き、髪が揺れる。
「——明日の放課後」
千早が静かに言った。
「最後の答えを聞かせて。悠斗くん」
その言葉に、葵と莉奈が身を引き締める。
「……もちろんよ。私、絶対に諦めないから」
「ふふ、私もよ。最後まで」
小雪は、小さく頷いた。
「……私も、勇気出す。明日」
四人が並ぶ。それぞれの想いを胸に、俺を見つめる。
(明日には、選ばなきゃいけない)
その重圧に、俺は深呼吸した。
「……わかった。明日、ちゃんと答えを出す」
千早が、意味深に微笑んだ。
「ふふ。でも、覚えておいて」
「……何を?」
「選ぶのは一人だけじゃない——選ばれる覚悟も、必要よ」
その言葉の意味が、俺にはまだわからなかった。
ただ、夕日が沈み、四人のシルエットが長い影を落とす中、俺は確かに感じていた。
明日は、何かが変わる。
そんな予感を。
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